心軽やかに生きよう!不安や我慢、イライラから脱出しよう。その極意教えます!

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【この地上を見渡せば、色んな人の思いやりと一生懸命さが溢れてる…!】

辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
 
今、人生がつらい人、歯を食いしばっている人、踏ん張ってる人、よりよくなりたい人、幸せを心の底から感じたい人へ。
 
(必要ならば、読んでね!)
 
 
あのね、昔の私って、本当に感謝のない人間だったんですよ。
…ま、怒ってましたね。
不運な自分に。環境に。色んな事に。
 
でね、怒りながらこう思っていました。
 
「私は誰の力も借りない。誰の世話にもならない。ひとりで生きていくんだ」
 
怒りながら、17歳の時にそう決めて、
それからは本当に、そんな風にして生きていると信じていたんです。
 
(※「そんな風にして生きてきた」のではなく、
「そんな風にして生きていると信じていた」というところがミソですっ。)
 
 
いや~、今思うとね、本当に逆だったな、って。
実際、自分は(あの頃…歯を食いしばっていた頃も、)
「どれだけ、人の思いやりに囲まれ、お世話になって生きていたんだろう…!」って。
 
(自己卑下ではなくね。)
 
しかし、当時の私は人生が過酷すぎて、まったくそう思えなかったし、人の思いやりなんて、これっぽっちも見えなかったんですよ。
 
 
でね、当時は見えなかったものが、今は見えているのです。
 
それは、
「私が生きるのに必要なものは、全て、どこかの誰かが育ててくれた。作ってくれた。自分は何一つ…何一つ、自力で作っていない!…全部人が作ってくれたものに囲まれている!すごいなぁ…!!!」
という事なんです。
 
(あっ!今人生がキツい人にとって、こういう言葉は、本当にウザいし、聞きたくないし、ムカつく言葉だと思います。
 
知ってます、何となく分かるよ…!
「今しんどいのに、どうやったら人に感謝できるっていうの!」
「そんなの偽善だよ!」
「つうか、マジでしんどいから!やってられないよ!」
「それより、もうヘトヘト…。気力がない、何も考えたくない…。思いやりに感謝…? それより寝たい」
 
こんな気持ちの人もいるかも。
でも、私はあなたのムカつきも理解できる。だから、ムカついたまま、この先も読んで下さい。)
  
  
若い頃、20歳そこそこの私には、
ほんっっっとうに、感謝などまったくなかった。
 
そして、自分は自立していると思っていた。
 
(事実、経済的には自立していた。
他の人よりも相当多くの税金を納税していた。)
 
で、世の中をナナメに見ながら
(社会や大人を馬鹿にし、尊重もせず、しかしその事に気づきもしないまま、)
 
「私が稼いだお金なんだ、誰かに迷惑かけてる?」
って思ってた。
  
  
…あれから色々あった。
今の私は、こんな結論に至っています。
 
・心豊かに、ハッピーに
・経済的にも豊かに生きる
 
そのためには、『自分は生かされて、生きている』という事にどれだけ深いレベルで気づけるか?
 
ここにかかってるよなぁ、って。
 
ここしかないよな、って。
だから、もしもあなたが今、幸せに(そして経済的に豊かに)なりたいならば、『ここに気づくこと、実感すること』。
 
これを、『命がけで取り組むこと』だよなぁ、て。
 
 
それは、こんな感じの感覚なのです。
 
「ああ、自分は(自己卑下じゃなく)本当に、本当に、ちっぽけな存在だなぁ。
周囲の存在によって生かされてるから、生きていられるのだなぁ。」
 
(周囲の存在とは、家族や友人などの狭いくくりではなく、地球全体に及んでいる事。そこを見つけていくこと。)
 
どこかの誰かが、今日も働いている。
どこかの誰かが、一生懸命やってくれた。
 
どこかの誰かが、「こうなってたほうが便利じゃない?」と、思いやりから、便利な発想や工夫をしてくれた。
 
だから、こんな便利な世の中に生きていられる。
 
 
もっと言えば、人間だけじゃ、これまた、どうにもならない。
そんな狭いくくりじゃ、私もあなたも『生きて』いられない。
 
細菌やバクテリアが土を豊かにしてくれた。
水が、緑が、昆虫が、動物が、窒素が、酸素が、太陽光が…。
 
森羅万象全てのものがそろい、初めて、
『あなたのいのち』
は生きながらえているのだなぁ、今日も。
 
 
この事ってね、『今がつらい人』には、受け容れがたい、キツい事なんだよね…。
 
「絶対、絶対、そこだけは見るもんか!!!」
「絶対、絶対、感謝なんてしない!!!」
 
今がつらければつらいほど…
「自分は不運だ、ツイてない」と思うほど…
「もう嫌だ、ここは地獄だ」って思うほど…
 
なんだか、こういう話が『きれい事』に感じられてしまう。
 
 
事実、昔の私も、こういう事を、笑顔で言う人が大嫌いだった。
 
で、
「あんた、幸せな人生だったから、そんな呑気な事がいえるんだよ。
いっぺん、私の人生と代わってみなよ?
私が味わったことの全てを、味わってみなよ?
それからもう一度、私に言いなよ。
 
だったら聴く耳持ってやるよ」
 
って、心の中で反論していた。
 
(実際には、このホンネは口には出さずに、作り笑顔で「素晴らしいです…!はい、私も努力します♪」な~んて返答していたけれど。)
 
 
 
でも。今、そんな私は、この事を伝えたいのです。
 
 
私が口にするものの全て。
私が着るものの全て。
私が住んでいるものの全て。
私が普段歩いている道。剪定された、街路樹。
 
「これらは、みんなの一生懸命な働きのおかげなんだ。
そのおかげで、今ここに、それらがある…!」
 
 
 
私が本当に幸運だったのは、人生のある時、この事に気づけた事です。
 
それは、おそらく29歳の頃だった。
 
一人、大阪の都会の真ん中で、この事に気づき、泣き崩れたのです。
 
「ああ…、たくさんの人が、ちゃんと私にも優しさや思いやりをくれてたよ…? お金を払えば手に入るのではない、そうじゃない。ちゃんと私にももたらされていた…。
 
それは、太陽の光のように、公平にもたらされていた。
雨のように、ちゃんと降り注いでいた。
 
私は、その恩恵の光を「心地いいなぁ…♪」と言いながら、浴びることもできた。
なのに、部屋の中から出ようとせず、カーテンを閉め切って、「私には光がない」とボヤいていた。
 
恩恵の雨を「有難う…!」と言って、マグカップで受け止めて、溜めることもできた。
マグカップじゃなく、もっと大きな器で溜めてもよかった。
私が取っても、他の人のぶんも、ちゃんとある。
 
なのに私はひねくれていた。マグカップをさかさまにして突き出し「ほら、誰もくれない」と拗ねていた。」
 
 
 
「ああ…、怒って拗ねて『要らない!』って主張していた。」
 
 
 
あのね、こんな『拗ねモード』のまま頑張ってもね、そこそこは稼げるんです。そこそこはハッピーに生きられるんです。
 
でもね、心の底からの安心感、安定感がない。
 
常に、優越感と劣等感の間で、心が行ったり来たりする。
いい事が続けば優越感。
悪い事が続けば「ほらね」と落ち込む。
 
幸運と不運の間で、右往左往を繰り返す。
常に心の振り子はブンブン振れて、ずっと心が不安定…。
 
 
 
ここから脱出するかしないかは、もう、自分の決意のみ。
 
決意したなら、コンマ1秒後、今まで居た場所から脱出できる。
 
「今ここ」にあるものに注意を向けられる。
今、あなたが持っているものに。
 
今、あなたが使っているスマホ(タブレット?PC?)に。
今、あなたが着ている服に。
今、あなたが飲んだ飲料に。
今、あなたが座っているイスに。
今、あなたが立っている道のアスファルトに。
今、あなたが居る建物に。
 
 
それは、全てあなたが『ゼロから』作り上げたものではなく、どこかの誰かが、一生懸命に発明したり、育てたり、切ったり、塗ったり、組み立てたりして…作ってくれたものなんだ。
 
そしてその人は、それが作れるようになるまでに、何度失敗をしただろう。何年努力をしただろう。
朝から晩まで、毎日毎日、そればかりやってきたんだ。
だから、そんなに上手に作ってくれた。
 
 
今すぐ、あなたの周囲に「ある」ものに、注意を向けよう。
あなたは世界中の「一生懸命生きてる人」に囲まれ、今日もそこにいる。
 
彼らは今日も地球のどこかで生きている。一生懸命やっている。
 
…そしてあなたも。
あなたが今日、行なった事により、誰かが救われている。
あなたの業務のおかげで。
あなたが物を買ったおかげで。
 
(だって、あなたがお金を得たという事は、どこかの誰かが「助かった」という事だから。あなたが誰かの役に立つ事をしなければ、お金は得られない。あなたの存在のおかげで、ラクになった人がいる!)
 
(あなたが物を買ったという事は、作った人に『応援を贈った』ということ…。その人たちに、お金が…生活費が届いたよ!あなたのおかげで、子供が学校に行けたり、誰かがごはんを食べられたよ。)
 
 
 
つらい時、寂しい時、孤独な時。
「何で自分ばっかり…!報われない!」と、やりきれなさや怒りがこみ上げた時。
 
あなたには「自分が誰かの幸せの役に立っている」という事が見えていない。
あなたには「自分が今日も、誰かのお世話になり、他者に依存しているからこそ、こうして空気を吸い、生きていられるのだ」という事が見えていない。
 
 
目を開けているのに、見えていない。
脳の中で「ないもの」ばかり探してる。
 
そして、自己卑下して、拗ねながら「誰かちょうだいよ!」と怒ってる。
 
 
「…ああ、これもある、あれもある…あれもあった!」
 
ここに、どれだけ意識を向けられるか。
 
 
 
今、私は思うのです。
これぞ、『命がけで取り組むべき、もっとも重要なこと』だと。
 
  
この価値に気づいた人から順に、『心底、真実、ハッピーに』
よころび溢れる人生を、ちゃんと掴む事ができるんだ。
 
  
  
私は幸運だった。
29歳で気づけて、幸運だった。
 
今、49歳なんです。
つまり、気づけてからの年数のほうが、まだ短い。
「この世は地獄だ…」と思っていた年数のほうが、まだ長い。
  
  
でもね、地獄だな…って思える出来事があったおかげで…私はささいな事に対し、よろこべるようになれている。
  
「世の中には、こんな極悪人がいるのか…」と思える人に出会ったおかげで…私は「今日もこんなステキな人に出会えた…!最高だなぁ♪ ツイてるよなぁ~~私って!(^o^)」と、思えるのです。
  
  
だからね、この世は『陰陽二元』なんだな。
  
『生まれたときからハッピー』だったら、「恩恵」には決して気づけないから。
  
最初から海の中を泳いでいる魚が、「海はどこ?水はどこ?」って探すみたいにね。
(海=愛、おもいやり、恩恵のたとえね。)
  
その魚が陸に打ち上げられた時、はじめて「うおぉ…海ってこれか…!水って…ずっとあった!」と気づけるようにね。
  
もう一度戻った海は、もう前の海とは違う。
四方八方ぐるり全て、『恩恵』の海だと感じられるのだ。
  
   
  
読んで下さり、本当に有難う…!
嬉しい…!
 
 
…私は今日も、命がけで取り組む人を応援します。
…今日も、命がけで取り組んでみよう!と思う人を増やします。
 
では、この後も、おいしいもの食べて、いい一日になりますように…♪
つじようこ より
  
 
 
(シェアしてくださるかた、いつも有難う、嬉しいです。
今必要なかたのところに届くならば、本当に嬉しい事です。
 
「シェアしてもいいですか?」の事前承諾、私については不要ですので♪ あなたのお心遣いに感謝!)