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こんにちは、辻耀子(つじようこ)です♪ “引き寄せの法則”という言葉が流行りだして、はや10年以上…? ポピュラーになっちゃったから、 私も必要に応じ、この表現を使うけれど、 いつも思うのは、 夢や願いが叶う時というのは、 「引き寄せ合い」が起こった、という表現のほうが、 本来のニュアンスに近いよな、って。 そうしたら先日、友人が、ギクッとくるような、 秀逸な事を言ってました。 「何かを引き寄せたい!って言ってる時の、 その人の表情とか出してる雰囲気(オーラ、ムード)って、 『おびきよせ』っていう感じがするんじゃわ~!」 (↑ 広島弁) おおお~!なるほど…! きっと、引き寄せって、誰もが「うまくいくとき」と「いかないとき」の好・不調があると思うんだけれど、 「引き寄せたいのに、引き寄せられない…」 「引き寄せられる気がしない…」 そう嘆いている時は、ひょっとしたら、 『引き寄せの法則とは、似て非なること』をしている可能性アリなのよね…。 つまり、ついつい、「おびきよせよう」としている時があるということ…。 (この時は、実は間違った方法をやっているんだよなぁ…。ついつい無自覚のうちにね。) (おびきよせようとする雰囲気って、何となく怖いから、「おびきよせ」のオーラ出されたら、逆に離れていきたくなるんだよね…!) そうすると、欲しいものがスルッと手元にやってきにくい。 というわけでっ。 人との出会い チャンス お金 どれも、心地よくするするーっと波に乗って引き寄せる人が増えるといいな…♪ って思ってる私ですが、 その時のコツはね… 「おびきよせ」のムードにならないコツはね…、 コツはね…、 えっとね…、 (耳貸して。) ………教えたげないよっ!(笑)。 …あっ! 今、イラッ!!と来たかな? それそれ! 今の、そのあなたの表情、オーラ、ムード! 「イラッ」ときた時のモード! せひ、そこに着眼してみて欲しい! 「教えて、教えて、教えて…!!!」 「知りたい、知りたい、知りたい…!!!」 このムードこそが、「おびきよせ」のムードなのです。 このムード、モード、これ、あかんやつ! 引き寄せられない時の表情、雰囲気! (今、きっと何かを引き寄せたくて、願い叶えたくて、切羽詰っている人ほど、今ここを読みながら、徐々に眉間にも力が入って、しわが寄っていたと思うんだよね…! だって必死だからね…、真剣だからね。 あなたが真剣なぶんだけ、ついつい前のめりになっちゃって、「なになに?!教えて!」っていうモードになったと思うんだ~。) (真剣になっちゃった事が「ダメ」なんじゃないよ? それだけ真剣なのは、全然悪くない!むしろ、めっちゃいい! そこは正解!ナイスなの! ホンキである、って事だからね…! でも、その『眉間の力』のみが、アウトって事なの。) ええと、 では。 改めまして… 「おびきよせ」のムードにならないコツはね… ゆったりとした呼吸! これですっ。 「は?! 辻さんっ!マジメに読んでるのに…!」 「ちゃんと教えて下さいよっ!」 はいっ、いや、大マジメに、これですっ。 (…では、理屈屋さんの私らしく、理屈っぽく説明するとね、) 脳波が決め手なの。 あなたは自分の脳波をコントロールできるのでね、 その脳波を、整えて欲しいのよ。 「引き寄せたい!引き寄せたい!絶対に引き寄せてやる…!」 っていう必死モードの時にはね、 脳波がベータ波なの。 これをね、アルファー波にしよう。 ゆったりとした呼吸をすれば、誰もが出来るようになるので。 細く長い、深呼吸。 体育の授業の時の深呼吸じゃなくてね、 音を立てないような、静かな、静かな、静かな… もっと静かな、細い、細い深呼吸。 全身から無駄な力を抜こう。 精神を統一しよう。 雑念のないクリアな脳みその状態を作ろう。 自分を整えよう。 瞑想が得意な人は、シータ波まで持っていこう。 よしっ、バッチリですっ♪ (^o^) その上で。 無邪気な3歳児のように、 「ひょっとしたら、こうなるかも…!(^o^) なったらいいなぁ♪」 と、軽やかに空想してみて。 空想を楽しもう♪ 妄想をどこまでも膨らませてOK! どんどんやっちゃっていいよ! よしっ。これで 『心の中の、ドライビング・ナビの行き先セット』が完了♪ バッチリです!(^o^) …最後に。 最も重要な事を付け足して終わります! もしかしたら、あなたが待っている『それ』は明日…、いや、今日来るかもしれないから…。 いつ来てもいいように、万全の体制で待っていよう!(^o^) 例えが下品だけれど、 「毎日、勝負パンツをはいておく!」(by つんく。) あなたが、あなたの望む未来を謳歌できますように。 今日も私は、『幸せ応援人』を続けます。 心からの応援を込めて…♪
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【自分から一歩踏み出し、表現する。そこから変わっていける。】
辻耀子(つじようこ)です。(^o^) 「分かってるんです、でも行動できないんです…」 「やりたいけど、お金がね…」 「〇〇さんが(主人が、家族が)どう言うか…」 「絶対にうまくいくっていう保証があればやりますよ?」 私は普段、相談業や講演、セミナーをやっていて、はがゆくなる時があります。 「ああ…やってみれば、成果がでるのにな…! うわ~、こんな世界が開けてた!って感激するだろうにな…」 本当に。 『行動したら結果はついてくる』とは絶妙なフレーズです。 そして、これは真実だなぁ、って思っています。 しかし私が出来るのは、「トイレ行きたいんです!トイレどこですか?」という人に対して、 トイレのドアの前までの道案内なのです。 そこから先…ドアを開けて中に入り、スッキリするのは、その人ご自身。 そこを「私が代わりに…♪」と代わってあげる事はできない。 自分にも経験があるのですが、 「頭では分かってるんです、でも行動できないんです」 という時には、 「本当にスッキリできるのか?」という部分に、疑いがあるのです。 「絶対にうまくいくっていう保証があればやるよ?」 という気分の時も、 「本当にスッキリできるのか?」という部分に、怖れがあるのです。 …でもね…。トイレのドアを自分で開けて、実際に行動した時に。行動した人だけが味わえる世界が待っている…! (ホント、ホント!!(笑)。) 元々私は自分を表現する事が苦手で、 怖くて、人に嫌われたくなくてビクビクしていた子供でした。 だから、自分の内面や、思っていることをさらけ出すのは、「えい!」と清水の舞台から飛び降りる覚悟です。 でも…。 「行動が怖い…」という人は、まずは「表現する」事からトライしてみて欲しい。 「実はこう思ってるの」 「実はこんな事がやってみたいの」 誰か、話しても安全な人に、伝えてみて欲しい。 こういう、SNSで書いてみるのもいい。 表現すると、何かが始まりだすのです。 こころからの応援を込めて…!(^o^) PS こういう事を書くと 「でも辻さん、行動してもうまくいかない事もあるじゃないですか? 必ずスッキリするとは限りませんよね? 失敗することもあるし…」 と尋ねてくるかたは必ずいるのですが(笑)。 答えは、コレ!! ↓ ↓ ↓ 「適切な行動をすれば、適切な結果が返ってくる」 …もしもあなたがトライしたのに、適切な行動が返ってこなかったならば。 あなた自身がダメなんじゃなく、 (決してそこではなく!) 「単に、やり方が、適切ではなかった」 …それだけのこと。 という事は、やりかたを工夫するか、違うやりかたをトライすれば、適切な成果が出ます!(^o^) 必ずね…!! (で、ここをサポートするのが、我々プロの応援業の仕事!) では、この後もいい一日になりますように…♪
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【この地上を見渡せば、色んな人の思いやりと一生懸命さが溢れてる…!】
辻耀子(つじようこ)です。(^o^) 今、人生がつらい人、歯を食いしばっている人、踏ん張ってる人、よりよくなりたい人、幸せを心の底から感じたい人へ。 (必要ならば、読んでね!) あのね、昔の私って、本当に感謝のない人間だったんですよ。 …ま、怒ってましたね。 不運な自分に。環境に。色んな事に。 でね、怒りながらこう思っていました。 「私は誰の力も借りない。誰の世話にもならない。ひとりで生きていくんだ」 怒りながら、17歳の時にそう決めて、 それからは本当に、そんな風にして生きていると信じていたんです。 (※「そんな風にして生きてきた」のではなく、 「そんな風にして生きていると信じていた」というところがミソですっ。) いや~、今思うとね、本当に逆だったな、って。 実際、自分は(あの頃…歯を食いしばっていた頃も、) 「どれだけ、人の思いやりに囲まれ、お世話になって生きていたんだろう…!」って。 (自己卑下ではなくね。) しかし、当時の私は人生が過酷すぎて、まったくそう思えなかったし、人の思いやりなんて、これっぽっちも見えなかったんですよ。 でね、当時は見えなかったものが、今は見えているのです。 それは、 「私が生きるのに必要なものは、全て、どこかの誰かが育ててくれた。作ってくれた。自分は何一つ…何一つ、自力で作っていない!…全部人が作ってくれたものに囲まれている!すごいなぁ…!!!」 という事なんです。 (あっ!今人生がキツい人にとって、こういう言葉は、本当にウザいし、聞きたくないし、ムカつく言葉だと思います。 知ってます、何となく分かるよ…! 「今しんどいのに、どうやったら人に感謝できるっていうの!」 「そんなの偽善だよ!」 「つうか、マジでしんどいから!やってられないよ!」 「それより、もうヘトヘト…。気力がない、何も考えたくない…。思いやりに感謝…? それより寝たい」 こんな気持ちの人もいるかも。 でも、私はあなたのムカつきも理解できる。だから、ムカついたまま、この先も読んで下さい。) 若い頃、20歳そこそこの私には、 ほんっっっとうに、感謝などまったくなかった。 そして、自分は自立していると思っていた。 (事実、経済的には自立していた。 他の人よりも相当多くの税金を納税していた。) で、世の中をナナメに見ながら (社会や大人を馬鹿にし、尊重もせず、しかしその事に気づきもしないまま、) 「私が稼いだお金なんだ、誰かに迷惑かけてる?」 って思ってた。 …あれから色々あった。 今の私は、こんな結論に至っています。 ・心豊かに、ハッピーに ・経済的にも豊かに生きる そのためには、『自分は生かされて、生きている』という事にどれだけ深いレベルで気づけるか? ここにかかってるよなぁ、って。 ここしかないよな、って。 だから、もしもあなたが今、幸せに(そして経済的に豊かに)なりたいならば、『ここに気づくこと、実感すること』。 これを、『命がけで取り組むこと』だよなぁ、て。 それは、こんな感じの感覚なのです。 「ああ、自分は(自己卑下じゃなく)本当に、本当に、ちっぽけな存在だなぁ。 周囲の存在によって生かされてるから、生きていられるのだなぁ。」 (周囲の存在とは、家族や友人などの狭いくくりではなく、地球全体に及んでいる事。そこを見つけていくこと。) どこかの誰かが、今日も働いている。 どこかの誰かが、一生懸命やってくれた。 どこかの誰かが、「こうなってたほうが便利じゃない?」と、思いやりから、便利な発想や工夫をしてくれた。 だから、こんな便利な世の中に生きていられる。 もっと言えば、人間だけじゃ、これまた、どうにもならない。 そんな狭いくくりじゃ、私もあなたも『生きて』いられない。 細菌やバクテリアが土を豊かにしてくれた。 水が、緑が、昆虫が、動物が、窒素が、酸素が、太陽光が…。 森羅万象全てのものがそろい、初めて、 『あなたのいのち』 は生きながらえているのだなぁ、今日も。 この事ってね、『今がつらい人』には、受け容れがたい、キツい事なんだよね…。 「絶対、絶対、そこだけは見るもんか!!!」 「絶対、絶対、感謝なんてしない!!!」 今がつらければつらいほど… 「自分は不運だ、ツイてない」と思うほど… 「もう嫌だ、ここは地獄だ」って思うほど… なんだか、こういう話が『きれい事』に感じられてしまう。 事実、昔の私も、こういう事を、笑顔で言う人が大嫌いだった。 で、 「あんた、幸せな人生だったから、そんな呑気な事がいえるんだよ。 いっぺん、私の人生と代わってみなよ? 私が味わったことの全てを、味わってみなよ? それからもう一度、私に言いなよ。 だったら聴く耳持ってやるよ」 って、心の中で反論していた。 (実際には、このホンネは口には出さずに、作り笑顔で「素晴らしいです…!はい、私も努力します♪」な~んて返答していたけれど。) でも。今、そんな私は、この事を伝えたいのです。 私が口にするものの全て。 私が着るものの全て。 私が住んでいるものの全て。 私が普段歩いている道。剪定された、街路樹。 「これらは、みんなの一生懸命な働きのおかげなんだ。 そのおかげで、今ここに、それらがある…!」 私が本当に幸運だったのは、人生のある時、この事に気づけた事です。 それは、おそらく29歳の頃だった。 一人、大阪の都会の真ん中で、この事に気づき、泣き崩れたのです。 「ああ…、たくさんの人が、ちゃんと私にも優しさや思いやりをくれてたよ…? お金を払えば手に入るのではない、そうじゃない。ちゃんと私にももたらされていた…。 それは、太陽の光のように、公平にもたらされていた。 雨のように、ちゃんと降り注いでいた。 私は、その恩恵の光を「心地いいなぁ…♪」と言いながら、浴びることもできた。 なのに、部屋の中から出ようとせず、カーテンを閉め切って、「私には光がない」とボヤいていた。 恩恵の雨を「有難う…!」と言って、マグカップで受け止めて、溜めることもできた。 マグカップじゃなく、もっと大きな器で溜めてもよかった。 私が取っても、他の人のぶんも、ちゃんとある。 なのに私はひねくれていた。マグカップをさかさまにして突き出し「ほら、誰もくれない」と拗ねていた。」 「ああ…、怒って拗ねて『要らない!』って主張していた。」 あのね、こんな『拗ねモード』のまま頑張ってもね、そこそこは稼げるんです。そこそこはハッピーに生きられるんです。 でもね、心の底からの安心感、安定感がない。 常に、優越感と劣等感の間で、心が行ったり来たりする。 いい事が続けば優越感。 悪い事が続けば「ほらね」と落ち込む。 幸運と不運の間で、右往左往を繰り返す。 常に心の振り子はブンブン振れて、ずっと心が不安定…。 ここから脱出するかしないかは、もう、自分の決意のみ。 決意したなら、コンマ1秒後、今まで居た場所から脱出できる。 「今ここ」にあるものに注意を向けられる。 今、あなたが持っているものに。 今、あなたが使っているスマホ(タブレット?PC?)に。 今、あなたが着ている服に。 今、あなたが飲んだ飲料に。 今、あなたが座っているイスに。 今、あなたが立っている道のアスファルトに。 今、あなたが居る建物に。 それは、全てあなたが『ゼロから』作り上げたものではなく、どこかの誰かが、一生懸命に発明したり、育てたり、切ったり、塗ったり、組み立てたりして…作ってくれたものなんだ。 そしてその人は、それが作れるようになるまでに、何度失敗をしただろう。何年努力をしただろう。 朝から晩まで、毎日毎日、そればかりやってきたんだ。 だから、そんなに上手に作ってくれた。 今すぐ、あなたの周囲に「ある」ものに、注意を向けよう。 あなたは世界中の「一生懸命生きてる人」に囲まれ、今日もそこにいる。 彼らは今日も地球のどこかで生きている。一生懸命やっている。 …そしてあなたも。 あなたが今日、行なった事により、誰かが救われている。 あなたの業務のおかげで。 あなたが物を買ったおかげで。 (だって、あなたがお金を得たという事は、どこかの誰かが「助かった」という事だから。あなたが誰かの役に立つ事をしなければ、お金は得られない。あなたの存在のおかげで、ラクになった人がいる!) (あなたが物を買ったという事は、作った人に『応援を贈った』ということ…。その人たちに、お金が…生活費が届いたよ!あなたのおかげで、子供が学校に行けたり、誰かがごはんを食べられたよ。) つらい時、寂しい時、孤独な時。 「何で自分ばっかり…!報われない!」と、やりきれなさや怒りがこみ上げた時。 あなたには「自分が誰かの幸せの役に立っている」という事が見えていない。 あなたには「自分が今日も、誰かのお世話になり、他者に依存しているからこそ、こうして空気を吸い、生きていられるのだ」という事が見えていない。 目を開けているのに、見えていない。 脳の中で「ないもの」ばかり探してる。 そして、自己卑下して、拗ねながら「誰かちょうだいよ!」と怒ってる。 「…ああ、これもある、あれもある…あれもあった!」 ここに、どれだけ意識を向けられるか。 今、私は思うのです。 これぞ、『命がけで取り組むべき、もっとも重要なこと』だと。 この価値に気づいた人から順に、『心底、真実、ハッピーに』 よころび溢れる人生を、ちゃんと掴む事ができるんだ。 私は幸運だった。 29歳で気づけて、幸運だった。 今、49歳なんです。 つまり、気づけてからの年数のほうが、まだ短い。 「この世は地獄だ…」と思っていた年数のほうが、まだ長い。 でもね、地獄だな…って思える出来事があったおかげで…私はささいな事に対し、よろこべるようになれている。 「世の中には、こんな極悪人がいるのか…」と思える人に出会ったおかげで…私は「今日もこんなステキな人に出会えた…!最高だなぁ♪ ツイてるよなぁ~~私って!(^o^)」と、思えるのです。 だからね、この世は『陰陽二元』なんだな。 『生まれたときからハッピー』だったら、「恩恵」には決して気づけないから。 最初から海の中を泳いでいる魚が、「海はどこ?水はどこ?」って探すみたいにね。 (海=愛、おもいやり、恩恵のたとえね。) その魚が陸に打ち上げられた時、はじめて「うおぉ…海ってこれか…!水って…ずっとあった!」と気づけるようにね。 もう一度戻った海は、もう前の海とは違う。 四方八方ぐるり全て、『恩恵』の海だと感じられるのだ。 読んで下さり、本当に有難う…! 嬉しい…! …私は今日も、命がけで取り組む人を応援します。 …今日も、命がけで取り組んでみよう!と思う人を増やします。 では、この後も、おいしいもの食べて、いい一日になりますように…♪ つじようこ より (シェアしてくださるかた、いつも有難う、嬉しいです。 今必要なかたのところに届くならば、本当に嬉しい事です。 「シェアしてもいいですか?」の事前承諾、私については不要ですので♪ あなたのお心遣いに感謝!)