心軽やかに生きよう!不安や我慢、イライラから脱出しよう。その極意教えます!

辻耀子オフィシャルサイト

blog辻耀子オフィシャルブログ

【『判断と心の自由』-1 「健康=幸せ・いいもの  症状=不幸・悪いもの それホント?心の自由の取り戻し方」】

辻耀子(つじようこ)です。
『心の自由』という言葉にピン!と来たなら、きっと今のあなたに必要なので読んでいって下さい♪

(シェアも もちろん大歓迎です!)

たとえば、こういう事って、ないですか?

「病気が治るのはいい事」で、
「病気が治ると幸せ」。

「症状があるのはよくない事」で、
「病気が治らないと不幸」。

こんな風に、『起こった出来事』を
当たり前のように『判断』を下してきたけれど…。

よくよく世間を見回してみると、
病気じゃないのに、健康なのに、不幸な人がいるなぁ。

病気でも、
「有難う、みなさんの手助けがありがたい」って
つぶやいて生きてる人もいるよなぁ…。

あれ~~??

何か、自分の判断って…
「単なる決め付け」だった…???
というようなこと。

(または、あなたの近くにこういう人がいませんか?)

そこで今回は、『判断(ジャッジ)』の力の
おそろしさと、『心の自由の取り戻し方』
について書きます(笑)。

さて。
我々は誰もがみんな、出来事が起こるたびに
快・不快を感じます。

そして出来事が起こった時、すんごいスピードで、
「それはいい・それは悪い」という判断を下しています。

(これはもう本当に、自動的にね…!)

(健康分野だけじゃなく、
仕事、お金、恋愛、結婚生活、人間関係、
「△△さんの事」…そのすべてにおいてね。)

私達は日常、起きている間じゅう、
全ての出来事に対し、瞬間的に、
脳みそフル回転で、
『ジャッジ』をやっちゃってるわけです。

「それはいい!」
「それは悪い!(間違っている!起こるべきじゃなかった!)」という具合にね。

でね、自分の下した判断(ジャッジ)ってね、
気づいておけば、おくほど、色々とおトクなんですヨ。

逆にね、頑張って何かを目指したり、達成しようと
行動しているのに、成果が出づらい時には、

自分の下した『ジャッジ』に気づかないまま
生きている可能性が大きいです。

だからね、『ジャッジ』には
気づいておくほうが、断然いいですヨ!

昔々、21年前、私が心理分析の「いろは」を学んだ時。
『自分の人生が、なぜこうなのか?』を
分析するために、最初に出された課題が、

“自分自身の『判断』に意識を向ける”
という事でした。

『判断(ジャッジ、つまり、自分の中にある正しさ)』。
ここにに気づく訓練です。

取り組んでみて、本当にあきれました…!
自分がどれほど、
『物事にいい・悪いの判断をつけているか?』
それが見えたからです…!

(正誤、善悪、優劣、美醜などもねっ。)

(まぁ~~大切なことからどうでもいいことにまで、
実にこまごまと『ジャッジ』しておったです!
きっと、一日に何百回と…!)

けれども、『自分の判断』を検証してみたところ、
大切な気づきがありました。

「ああ、出来事そのものが私を不幸にしたり、
つらくしているのではないのだな。

それが起こったときに、出来事に対し、
『どのような判断を下しているか?』

それが、自分を
『気楽にしたり、ハッピーにしたり、
深刻にしたり、つらくさせている』
のだな…。」

例えば、家族の病気に対して。

「ああ、きっとよくならない」
(という判断。ジャッジ。)

「93%の人が、1年後には
回復しているらしい。ならばよくなるのでは?」
(という判断。ジャッジ。)

…『ジャッジ次第で気分が変わる』!

この事に、今、気づいていただけました?

そうなんですよ。
あなたが『出来事』をどうジャッジしたか?
そこに連動して、
その事に対する『快・不快』(=感覚)や
その事に対する『好き・嫌い』(=感情)も
自動的に決まってくる、という事です。

そう!つまり…。
「何かの出来事があったから、ハッピーな気分になった」
「何かの出来事があったから、つらくなった」
のではないんですよねっ。

『出来事そのもの』には、本来、
「いい」も「悪い」もないのです。

また、『ジャッジそのもの』も、
悪いものばかりではないのです。
いいジャッジや、害のないジャッジも存在します。

(それに、我々個々の個性や民族性、文化にも
繋がってくるものです!)

けれども、ひとつだけ、やっかいな事がある。

それは、
『人生が迷走している時、欲しい成果が出ない時、
自分自身のジャッジを見つけないままだと、
適切な工夫がしづらくなる』という事。

出来事をジャッジすると、その瞬間から
誰もが視野がせまくなり、チョイスの幅がせばまります。

しかし、
(自分のジャッジした内容に気づかない時には、)
視野がせまくなっている自分にも気づけない。

…そして、そのまま行動し、そのまま生きていると、
何が起こるか?

時々判断をあやまり、
しかし判断の誤りにさえ気づけず、

「何で成果が出ないんだろ?
何でうまくいかないんだろ?」
という事になるのです。

(でも、いい工夫案も浮かびづらい。)

その結果、自分がよかれと思っている方法を押し通し、
「ガンコ」と呼ばれたり、

自分の正しさを人に押し付けるので、時々人とぶつかり、
時に好きな人から嫌われ、ウザがられたり…。

しかし「自分の一体どこがダメなのかにも気づけず」

どんどん、『のびやかさ・心の自由』を
感じにくくなっていくのです。

…というわけでね。
もしも、『心の自由・のびやかさがないなぁ』
『生きづらいな…』と感じたときには、

「自分は、起こっている出来事について、
どのような判断(ジャッジ)を下しているのだろう?」

と、自問自答してみるといいよ?(^o^)

何しろ、『ジャッジ』をした瞬間、
『チョイス』(=選択肢)を失っている可能性が大きいのでね…!

そしてね、ここまで来たら、いい感じ♪
「当然~~であるべきでしょ?」
というような種類の、
自分なりの『正しさ(=判断)』が
みつかったなら、しめしめです♪♪

思考のワナから脱出できますよ!
(やったね!!(^o^)バンザイ!)

いっぺん、自分の心の中で、そーっと、
その考えを『検証』してみて下さいナ。

(「決して間違ってない!絶対だ!
これがベストチョイスなんだ!」
と思ったその『判断』や『ものの見方』を、
敢えて疑ってみて欲しいんです。)

◆【自己分析の手順】

1)
「なるほど、自分はこのように信じてるんだな」
(あるいは、「信じたい自分がいるんだな」)

2)
「…でも、その判断って、本当に正しいかな…?」
「色メガネをかけて、出来事をみてないかな?」

3)
「なぜ、これがいい!という事に固執するんだろう?」
「なぜ、こうなるに決まってる!と、
決め付けているんだろう?」
(おおっ!決め付けたい自分がいるなぁ!)

4)
「この判断は、自分をつらくさせてないかな?」

「いつもこういう風に考えてきたけれど、
違う考えもアリなのかな?」

「どう考えたら、もっと楽だろう?」

…こうやって、『自分の正しさ』を疑ってみる。
『常識』を、『ルール』を疑ってみるわけです。

(誰にも知られないですからね、
やっても大丈夫だよ!)

そうすると、自分の『枠』や『壁』に風穴が開きます…!
そこから、『風穴』(小さな窓)から、
外側に広がる(別の)世界が覗き見れますよ…♪

どう?
どんな気持ちになる?

何だかのびのび?
観たこともない世界が広がっている…?

しかし『枠』や『壁』の外に出る事については、
意外と「出来そうで、出来ない」。
そう、ためらうものなのです。

「今までと違う考えを言ったり、行動したら、
みんなから(世間から)どう思われるだろう…?」

「私らしくないよ、って笑われない?」
「ヘンに注目集めない?」

「バカにされたり、見下されない?」
「っていうか、恥ずかしいよ!」

「失敗するかもしれない…」
「後悔するかもしれない…」

「でも、うまくいくかもしれない!」
「成果がでちゃうかも知れない!」

今までの、『勝手知ったる自分の日常』
から外に出るのは、実はとてもとても
勇気が必要だったり、抵抗が生まれたりします。

要は「ビビって怖くなる」のです!!

それでも、もしもあなたが
『風穴の向こう側』に見える世界に行きたければ…。

『枠』や『壁』は、
実はペラペラの紙で出来ていて、
カンタンに向こう側へいけるのです。(^o^)

というわけで、自由、バンザイ!!
よりハッピーに生きたいあなたに、応援を込めて。