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【自分から一歩踏み出し、表現する。そこから変わっていける。】
辻耀子(つじようこ)です。(^o^) 「分かってるんです、でも行動できないんです…」 「やりたいけど、お金がね…」 「〇〇さんが(主人が、家族が)どう言うか…」 「絶対にうまくいくっていう保証があればやりますよ?」 私は普段、相談業や講演、セミナーをやっていて、はがゆくなる時があります。 「ああ…やってみれば、成果がでるのにな…! うわ~、こんな世界が開けてた!って感激するだろうにな…」 本当に。 『行動したら結果はついてくる』とは絶妙なフレーズです。 そして、これは真実だなぁ、って思っています。 しかし私が出来るのは、「トイレ行きたいんです!トイレどこですか?」という人に対して、 トイレのドアの前までの道案内なのです。 そこから先…ドアを開けて中に入り、スッキリするのは、その人ご自身。 そこを「私が代わりに…♪」と代わってあげる事はできない。 自分にも経験があるのですが、 「頭では分かってるんです、でも行動できないんです」 という時には、 「本当にスッキリできるのか?」という部分に、疑いがあるのです。 「絶対にうまくいくっていう保証があればやるよ?」 という気分の時も、 「本当にスッキリできるのか?」という部分に、怖れがあるのです。 …でもね…。トイレのドアを自分で開けて、実際に行動した時に。行動した人だけが味わえる世界が待っている…! (ホント、ホント!!(笑)。) 元々私は自分を表現する事が苦手で、 怖くて、人に嫌われたくなくてビクビクしていた子供でした。 だから、自分の内面や、思っていることをさらけ出すのは、「えい!」と清水の舞台から飛び降りる覚悟です。 でも…。 「行動が怖い…」という人は、まずは「表現する」事からトライしてみて欲しい。 「実はこう思ってるの」 「実はこんな事がやってみたいの」 誰か、話しても安全な人に、伝えてみて欲しい。 こういう、SNSで書いてみるのもいい。 表現すると、何かが始まりだすのです。 こころからの応援を込めて…!(^o^) PS こういう事を書くと 「でも辻さん、行動してもうまくいかない事もあるじゃないですか? 必ずスッキリするとは限りませんよね? 失敗することもあるし…」 と尋ねてくるかたは必ずいるのですが(笑)。 答えは、コレ!! ↓ ↓ ↓ 「適切な行動をすれば、適切な結果が返ってくる」 …もしもあなたがトライしたのに、適切な行動が返ってこなかったならば。 あなた自身がダメなんじゃなく、 (決してそこではなく!) 「単に、やり方が、適切ではなかった」 …それだけのこと。 という事は、やりかたを工夫するか、違うやりかたをトライすれば、適切な成果が出ます!(^o^) 必ずね…!! (で、ここをサポートするのが、我々プロの応援業の仕事!) では、この後もいい一日になりますように…♪
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【この地上を見渡せば、色んな人の思いやりと一生懸命さが溢れてる…!】
辻耀子(つじようこ)です。(^o^) 今、人生がつらい人、歯を食いしばっている人、踏ん張ってる人、よりよくなりたい人、幸せを心の底から感じたい人へ。 (必要ならば、読んでね!) あのね、昔の私って、本当に感謝のない人間だったんですよ。 …ま、怒ってましたね。 不運な自分に。環境に。色んな事に。 でね、怒りながらこう思っていました。 「私は誰の力も借りない。誰の世話にもならない。ひとりで生きていくんだ」 怒りながら、17歳の時にそう決めて、 それからは本当に、そんな風にして生きていると信じていたんです。 (※「そんな風にして生きてきた」のではなく、 「そんな風にして生きていると信じていた」というところがミソですっ。) いや~、今思うとね、本当に逆だったな、って。 実際、自分は(あの頃…歯を食いしばっていた頃も、) 「どれだけ、人の思いやりに囲まれ、お世話になって生きていたんだろう…!」って。 (自己卑下ではなくね。) しかし、当時の私は人生が過酷すぎて、まったくそう思えなかったし、人の思いやりなんて、これっぽっちも見えなかったんですよ。 でね、当時は見えなかったものが、今は見えているのです。 それは、 「私が生きるのに必要なものは、全て、どこかの誰かが育ててくれた。作ってくれた。自分は何一つ…何一つ、自力で作っていない!…全部人が作ってくれたものに囲まれている!すごいなぁ…!!!」 という事なんです。 (あっ!今人生がキツい人にとって、こういう言葉は、本当にウザいし、聞きたくないし、ムカつく言葉だと思います。 知ってます、何となく分かるよ…! 「今しんどいのに、どうやったら人に感謝できるっていうの!」 「そんなの偽善だよ!」 「つうか、マジでしんどいから!やってられないよ!」 「それより、もうヘトヘト…。気力がない、何も考えたくない…。思いやりに感謝…? それより寝たい」 こんな気持ちの人もいるかも。 でも、私はあなたのムカつきも理解できる。だから、ムカついたまま、この先も読んで下さい。) 若い頃、20歳そこそこの私には、 ほんっっっとうに、感謝などまったくなかった。 そして、自分は自立していると思っていた。 (事実、経済的には自立していた。 他の人よりも相当多くの税金を納税していた。) で、世の中をナナメに見ながら (社会や大人を馬鹿にし、尊重もせず、しかしその事に気づきもしないまま、) 「私が稼いだお金なんだ、誰かに迷惑かけてる?」 って思ってた。 …あれから色々あった。 今の私は、こんな結論に至っています。 ・心豊かに、ハッピーに ・経済的にも豊かに生きる そのためには、『自分は生かされて、生きている』という事にどれだけ深いレベルで気づけるか? ここにかかってるよなぁ、って。 ここしかないよな、って。 だから、もしもあなたが今、幸せに(そして経済的に豊かに)なりたいならば、『ここに気づくこと、実感すること』。 これを、『命がけで取り組むこと』だよなぁ、て。 それは、こんな感じの感覚なのです。 「ああ、自分は(自己卑下じゃなく)本当に、本当に、ちっぽけな存在だなぁ。 周囲の存在によって生かされてるから、生きていられるのだなぁ。」 (周囲の存在とは、家族や友人などの狭いくくりではなく、地球全体に及んでいる事。そこを見つけていくこと。) どこかの誰かが、今日も働いている。 どこかの誰かが、一生懸命やってくれた。 どこかの誰かが、「こうなってたほうが便利じゃない?」と、思いやりから、便利な発想や工夫をしてくれた。 だから、こんな便利な世の中に生きていられる。 もっと言えば、人間だけじゃ、これまた、どうにもならない。 そんな狭いくくりじゃ、私もあなたも『生きて』いられない。 細菌やバクテリアが土を豊かにしてくれた。 水が、緑が、昆虫が、動物が、窒素が、酸素が、太陽光が…。 森羅万象全てのものがそろい、初めて、 『あなたのいのち』 は生きながらえているのだなぁ、今日も。 この事ってね、『今がつらい人』には、受け容れがたい、キツい事なんだよね…。 「絶対、絶対、そこだけは見るもんか!!!」 「絶対、絶対、感謝なんてしない!!!」 今がつらければつらいほど… 「自分は不運だ、ツイてない」と思うほど… 「もう嫌だ、ここは地獄だ」って思うほど… なんだか、こういう話が『きれい事』に感じられてしまう。 事実、昔の私も、こういう事を、笑顔で言う人が大嫌いだった。 で、 「あんた、幸せな人生だったから、そんな呑気な事がいえるんだよ。 いっぺん、私の人生と代わってみなよ? 私が味わったことの全てを、味わってみなよ? それからもう一度、私に言いなよ。 だったら聴く耳持ってやるよ」 って、心の中で反論していた。 (実際には、このホンネは口には出さずに、作り笑顔で「素晴らしいです…!はい、私も努力します♪」な~んて返答していたけれど。) でも。今、そんな私は、この事を伝えたいのです。 私が口にするものの全て。 私が着るものの全て。 私が住んでいるものの全て。 私が普段歩いている道。剪定された、街路樹。 「これらは、みんなの一生懸命な働きのおかげなんだ。 そのおかげで、今ここに、それらがある…!」 私が本当に幸運だったのは、人生のある時、この事に気づけた事です。 それは、おそらく29歳の頃だった。 一人、大阪の都会の真ん中で、この事に気づき、泣き崩れたのです。 「ああ…、たくさんの人が、ちゃんと私にも優しさや思いやりをくれてたよ…? お金を払えば手に入るのではない、そうじゃない。ちゃんと私にももたらされていた…。 それは、太陽の光のように、公平にもたらされていた。 雨のように、ちゃんと降り注いでいた。 私は、その恩恵の光を「心地いいなぁ…♪」と言いながら、浴びることもできた。 なのに、部屋の中から出ようとせず、カーテンを閉め切って、「私には光がない」とボヤいていた。 恩恵の雨を「有難う…!」と言って、マグカップで受け止めて、溜めることもできた。 マグカップじゃなく、もっと大きな器で溜めてもよかった。 私が取っても、他の人のぶんも、ちゃんとある。 なのに私はひねくれていた。マグカップをさかさまにして突き出し「ほら、誰もくれない」と拗ねていた。」 「ああ…、怒って拗ねて『要らない!』って主張していた。」 あのね、こんな『拗ねモード』のまま頑張ってもね、そこそこは稼げるんです。そこそこはハッピーに生きられるんです。 でもね、心の底からの安心感、安定感がない。 常に、優越感と劣等感の間で、心が行ったり来たりする。 いい事が続けば優越感。 悪い事が続けば「ほらね」と落ち込む。 幸運と不運の間で、右往左往を繰り返す。 常に心の振り子はブンブン振れて、ずっと心が不安定…。 ここから脱出するかしないかは、もう、自分の決意のみ。 決意したなら、コンマ1秒後、今まで居た場所から脱出できる。 「今ここ」にあるものに注意を向けられる。 今、あなたが持っているものに。 今、あなたが使っているスマホ(タブレット?PC?)に。 今、あなたが着ている服に。 今、あなたが飲んだ飲料に。 今、あなたが座っているイスに。 今、あなたが立っている道のアスファルトに。 今、あなたが居る建物に。 それは、全てあなたが『ゼロから』作り上げたものではなく、どこかの誰かが、一生懸命に発明したり、育てたり、切ったり、塗ったり、組み立てたりして…作ってくれたものなんだ。 そしてその人は、それが作れるようになるまでに、何度失敗をしただろう。何年努力をしただろう。 朝から晩まで、毎日毎日、そればかりやってきたんだ。 だから、そんなに上手に作ってくれた。 今すぐ、あなたの周囲に「ある」ものに、注意を向けよう。 あなたは世界中の「一生懸命生きてる人」に囲まれ、今日もそこにいる。 彼らは今日も地球のどこかで生きている。一生懸命やっている。 …そしてあなたも。 あなたが今日、行なった事により、誰かが救われている。 あなたの業務のおかげで。 あなたが物を買ったおかげで。 (だって、あなたがお金を得たという事は、どこかの誰かが「助かった」という事だから。あなたが誰かの役に立つ事をしなければ、お金は得られない。あなたの存在のおかげで、ラクになった人がいる!) (あなたが物を買ったという事は、作った人に『応援を贈った』ということ…。その人たちに、お金が…生活費が届いたよ!あなたのおかげで、子供が学校に行けたり、誰かがごはんを食べられたよ。) つらい時、寂しい時、孤独な時。 「何で自分ばっかり…!報われない!」と、やりきれなさや怒りがこみ上げた時。 あなたには「自分が誰かの幸せの役に立っている」という事が見えていない。 あなたには「自分が今日も、誰かのお世話になり、他者に依存しているからこそ、こうして空気を吸い、生きていられるのだ」という事が見えていない。 目を開けているのに、見えていない。 脳の中で「ないもの」ばかり探してる。 そして、自己卑下して、拗ねながら「誰かちょうだいよ!」と怒ってる。 「…ああ、これもある、あれもある…あれもあった!」 ここに、どれだけ意識を向けられるか。 今、私は思うのです。 これぞ、『命がけで取り組むべき、もっとも重要なこと』だと。 この価値に気づいた人から順に、『心底、真実、ハッピーに』 よころび溢れる人生を、ちゃんと掴む事ができるんだ。 私は幸運だった。 29歳で気づけて、幸運だった。 今、49歳なんです。 つまり、気づけてからの年数のほうが、まだ短い。 「この世は地獄だ…」と思っていた年数のほうが、まだ長い。 でもね、地獄だな…って思える出来事があったおかげで…私はささいな事に対し、よろこべるようになれている。 「世の中には、こんな極悪人がいるのか…」と思える人に出会ったおかげで…私は「今日もこんなステキな人に出会えた…!最高だなぁ♪ ツイてるよなぁ~~私って!(^o^)」と、思えるのです。 だからね、この世は『陰陽二元』なんだな。 『生まれたときからハッピー』だったら、「恩恵」には決して気づけないから。 最初から海の中を泳いでいる魚が、「海はどこ?水はどこ?」って探すみたいにね。 (海=愛、おもいやり、恩恵のたとえね。) その魚が陸に打ち上げられた時、はじめて「うおぉ…海ってこれか…!水って…ずっとあった!」と気づけるようにね。 もう一度戻った海は、もう前の海とは違う。 四方八方ぐるり全て、『恩恵』の海だと感じられるのだ。 読んで下さり、本当に有難う…! 嬉しい…! …私は今日も、命がけで取り組む人を応援します。 …今日も、命がけで取り組んでみよう!と思う人を増やします。 では、この後も、おいしいもの食べて、いい一日になりますように…♪ つじようこ より (シェアしてくださるかた、いつも有難う、嬉しいです。 今必要なかたのところに届くならば、本当に嬉しい事です。 「シェアしてもいいですか?」の事前承諾、私については不要ですので♪ あなたのお心遣いに感謝!)
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辻耀子(つじようこ)です。 (今日の内容は、特に、自分がイマイチ好きになれないかたへ。 全力を込めてお届けします。) 私ね、1999年、いきなり『見えないはずのもの』が 見えるようになったんです。 (大阪のビジネスホテルで、 カレーを食べていた時にそうなったので、 私の歴史上では 『江坂カレー事件』と名づけています。) これを言うと、「うわ~うらやましい!」 と言われる事がありますが… 私の場合は、逆でした。 それまで「見えないものは信じない」 というスタンスで生きていたので、 ひどいショックがあり、受け入れがたかったのです。 毎晩、「明日、起きたら元に戻っていますように…」 と念じながら眠り、 翌朝起きて「まだか…」と落ち込み、 大病院で脳波の検査をうけたり、 「カウンセラーなのに精神病になった?」 と悩んだり、1ヶ月ほど一人で深刻に怖がっていました。 …結局、元には戻らず、今日まで生きています。 しかし、そのおかげで私は、 『人間の本質』に気づく事が出来ました。 “ありのままの自分”。 お一人、お一人の『たましいの輝き』としか いいようのない、美しい光が、 見えるようになったのです。 それはもう、見事で…見事で、 あまりに美しくて、いつまでも見とれるほどの光です。 それぞれに個性があり、 しかし同時に優劣はなく、 全ては別々であり、同時にひとつのものです。 (ここのニュアンスは、言葉では表現できないです。 矛盾がでます。) それは、ただひたすら透明感があり、 純粋で、クリアで、曇りがなく、 汚れていない。 涙がこぼれそうになるほど、見事な光です。 この『たましいの輝き』や、 もうひとつ、その人を守る存在の輝きなどを 見つけてからの私は、 今度は逆に「うっひゃああああ…!」と 驚き、感激し、エキサイトし、 「ああ、言いたい、伝えたい!」 「私には見える!あなたの輝きが見える!」 という具合に、 言いたくて、言いたくて、言いたくて… 仕方がなくなって、 その衝動を抑えるのが大変で、 困ったものでした。 (それまで、『見える』という人の事を 心の中で「ありえないから~」と 思って、斜めにみて生きてきたぶんだけ、 それが自分に跳ね返り、怖くなるわけです。 このジレンマは大きかったです。 いつも、2つの気持ちが揺れ動いていました。 「見えるよ!あなたの光が見えるよ!すごいよ!」 と、ちっちゃい子供のように 自慢げに伝えたい自分と、 「ヘンな人と思われたら、嫌われたり 仕事や生活に支障がでるかもしれない…」 という恐れのはざまで、 かなり長いこと、『見える』事を黙っていました。) 当時から私は心理カウンセラーをしていました。 当時は新米で、へたくそで、 相談者さんがほぼいなかったものの、 ここ15年ほどは、 少なくない人数の方が連絡してこられます。 そして私は毎日、早朝から深夜まで、 要望がある限り心理相談に応じているのですが、 落ち込み、悩み、苦しみ、そのさなかにいるかたが、 「悔しいんです、つらいんです、復讐したいんです」 と訴えるのを聴かせていただきながら、 その最中にも、そのかたの内側に間違いなくある それは見事な… クリアで純粋な… とんでもなく透明な、『ありのままの存在』を 見つけています。 そして時に、歯がゆくなっています。 「ああ、この光を今すぐ目の前に取り出して、 はい、これを観て、これがあなただよ、 って伝えられればいいのになぁ」と。 「こんな自分はダメです」 「こんな自分だから、うまくいかないんです」 「ああ、何で私はこんな人間なのだろう」 「私は汚い人間です」 「私は被害者です、相手が不幸になるまで 私の幸せなどありえません」 「あの人が不幸になってくれれば 私は正直、すごく嬉しい。 …私の本性、結局これなんですよね、辻さん。」 いや、違う。 …確かに私も、昔は、 『江坂カレー事件』の起こる前までは、 同じように思っていました。 自己嫌悪の固まりで、こんな自分が嫌いで。 「みんな、本当の自分を知ったら、 離れていくに決まっている」 と心の底から信じていたんです。 「みんなうまくいくといいね」と言いながら、 実際には、 誰か、知人ががうまくいかなかったりすると、 それを見ながら心の中で 「ホッ」と安心する自分がいたり、 怒りや悔しさ、 「今に見てろ」という、やり返したい気持ち…。 「自分だけがトクしたい気持ち」。 そんなものを心に隠し持っていました。 そして、 自分の心の中にある怒りや、黒いもの。 『それこそが、自分の本性』と信じていました。 だからね、 相談者さんの気持ち、自己嫌悪、自己否定感… 痛いほどわかります。 昔の自分と同じだから…。 でも、今の私は、こう伝えたいのです、 “ありのままの自分” とは、 あなたの肉体に付随する『エゴ』の事ではないよ。 それは、あなたの『本質』ではない。 たとえば、 「本当は、今の会社が嫌でたまらないんです。 でもこれが正直な気持ちです、 これがありのままの自分なんです」 とか、 「でこもぼこもあるけれど、 これが自分なのだからしかたがない、 これがありのままの自分なのだから」 とか、 「他の人より優れていたい、お金も欲しい、 ぜいたくしたい、もっと言えば、 仕事になど行きたくない。 でもそれがありのままの本心です」 とか、 そんな風に、『ありのままの自分』という 言葉を使う人がいるけれど、 これらすべて、 “ありのままのあなた”ではない。 これらは、単なる『エゴ』です。 肉体に付随する、『生存本能』からくる 感情的な(脳科学的な)反応にすぎない。 本当の、“ありのままのあなた” は、 あなたがまだ見つけていない、本当のあなただ。 一人ひとり、見事な輝きを放っています。 そしてあなたは、あなた独自の光を持っている。 他の誰でもない、見事な光を。 (しかし同時に、何者でもない光を。 超我の領域の光を。) もしもあなたが、自分の中にある “ありのまま” の純粋な光を 信じられないならば、 その原因は、 心の傷(トラウマ)、 我慢が多い人生だったり、 エゴが強すぎて捉われていたり、 固定観念 強い思い込み 周囲の(ネガティブな)環境 あなたを支配し、コントロールしようとする存在 これらにあります。 これらから、あなたは身を守るため 『心のよろい』や『心の壁』を作ったのですが、 しかし今度は皮肉なことに、 それがあなたの心眼をふさいだため、 あなたには見えないのです。本当のあなたが。 つまり、あなた自身の心(エゴ)が、 あなたの本質を、 “ありのままの自分”を、見誤らせているのです。 (※ただし、『エゴ』は 肉体を守るために必要な生存本能から来る 感情であり、いのちを永らえるために必要なので、 生きている限り、消えてなくなる日は来ません。) あなたが『エゴ』を受け入れ、 そっと横に置いたとき。 あなたは本当のあなたを見つける事になります。 「あれ…、自分にもこんな部分があったのか…!」 純粋な、クリアな、穢れのない、 まっすぐな、 それはそれは見事なひかりです。 『ありのままの自分』。 何者からも、自分を守ろうとする必要のない、 決して消えない、 永遠の光が、 あなたの本質です。 以上、読んでくれてありがとう。 (それにしても、 こういう事を書くの、勇気が要るものですね…! 反応が怖いです。 今日はすんごい勇気を振り絞り、 伝えたくて書きました。) この後もあなたにとって、いい一日でありますように…。 (※シェアについて。 私への事前確認のお気遣いなく、ですよ~。 どうぞ、必要に応じてもってって下さい。 ありがとう。(^o^)) つじようこ