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「いのちについて考えろよ」キャンペーン中のつじです。 人生って、すぐに解決出来る事もあるけれど、 停滞する状況の中で、耐えなければ仕方がない時もあるよね。 いつまで続くのか、と思いながら、目の前の事を やるしかない忍耐の時も。 あるんだよなぁ…、あるよなぁ。 永遠に夜明けが来ないんじゃないか、という 暗い妄想が頭を占める時。 光が見えない時。 自分のあがきだけじゃ、どうにもならない運命や やりきれなさを感じる時も。 よく、「そんな時は、夜空を見上げて宇宙の事を 考えるといいよ」っていう人がいるでしょう。 私は、ビルの屋上から下を見下ろしてみるのは どうだろう、と提案したいな。 地上1階の位置から世界を見るのではなく、 気分転換に、ビルに登ってみる。 高いところから、俯瞰(ふかん)してみる。 人が豆粒ぐらいにしか見えない。 男か女か分からない。 年齢も分からない。 高級な服を着ているのか、安物を着ているのか、 区別が付かない。 車の車種も分からない。 国産のくたびれたクルマなのか、ベンツSクラスか 区別が付かない。 外国人か日本人か。これもまた区別が付かない。 高くなればなるほど、ただそこにあるのは 『存在のひしめき』。 “いのちが動いている事”だけが見える。 高いところから俯瞰してみると、 『上から目線で、みんなを見くだす心境』ではなく、 逆にむしろ、 『全てが大差ないのだ』という謙虚な開眼に達する。 “悟りは、差取り。” …今しんどい最中のかたへ。 もしくは、ついつい劣等感に苛まれて落ち込んだり、 いつも誰かと自分を比べて苦しくなっているかたへ。 あなたの今の忍耐は、いずれ蓄積されてドカーン!と 破裂するのか、それとも静かに終わるのか…。 いずれにせよ、永遠に続くことなど決してないので、 まったく心配無用なのです。 (その事だけは、私にも100%予言出来ますっ。 絶対にはずしませんっ。) そして、今あなたは何をしているのかと言うと…。 ジワジワと感性の器を広げているのです。 いずれ、あなたの目は、まがいものにとらわれず 真実を見抜くようになる。 『高級服』や『安物』や 『高学歴』や『低学歴』、『何を持っているか』など… 人々のありとあらゆる『頑張ってるよ!見てみて!』 という着ぐるみがどれも全部同じに見えてきて、 しまいには、その人の内側に光り輝く真の姿だけが… 「受け継がれてきたいのちの炎」 のみが見えるのです。 ああ、自分と同じだな、 あの人もあの人なりに頑張っている…。 この時、あなたの心はとらわれから解き放たれ、 まさに大きくて優雅な鳥のように翼を広げるのです。 “悟りは、差取り。” もしもあなたの周囲に、必死になっている人や 頑張りすぎたり、思いつめすぎて 視野が狭くなっている人がいるならば、 一緒に誘って、2人で屋上の心地いい風に 吹かれてみて下さいナ。 あなたの存在に感謝。 読んでくれて嬉しい、有難う。(^-^) つじようこ より
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辻耀子(つじようこ)ですっ。(^o^)まいど♪ 『ペイフォワード』っていうタイトルの映画が ありましたねっ。覚えてますかっ? (実は、私は観てないんだけれども。 当時、多くの友人が「絶対観たほうがいいよ!」と オススメしてくれたのを思い出します。) このペイフォワードという言葉、 日本語的に言えば、『恩送り』。 「は?辻さん、恩返しじゃなく、恩送り? それって何ですか?」 はい、…『恩返し』は、 あなたもご存知の通りですよねっ。 「恩を受けた人が、相手から受けた恩に報いる」 という意味合いですっ。 一方、『恩送り』は、誰かから受けた恩を、 直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。 (この『恩送り』を英語で言うと、 『ペイフォワード』なんですねっ。) 今日は、このペイフォワードについて 色々真剣に考えた一日でした。 たとえば誰かが 「大切なあなたのために…」と、 ていねいに、気持ちを込めて行なう。 それを受けたあなたもまた、 次の誰かに向けて、 「大切なあなたのために…」と、 何かを行なう。思いやりを持ってネ。 …で、もしも…もしもですよ…、 この『恩送り』がどんどん バケツリレーのように連なっていき、 やがて地球を一周したなら……… うひょ~~~!!! こりゃ最高だなぁ…!!! 誰もが『癒す側の人』であり、 『癒される側の人』になりますもんねっ。 送って、もらって、送って、もらって。 こりゃ地上が、 “よろこび合い祭り” の場になるなぁっ♪ 私、普段、人生相談業をしています。 ゆえに、今までにトータルで5,000人ぐらいの 悩みを聴かせてもらいました…。 (病気のかた向けの医療相談ボランティアも 含めると、もっとすごい人数だな…。) で、時に、 「死にたい…もう何もかもが嫌だ…」 という人とも、お会いしてきました。 で、そんな私なりに思うこと。 人は、誰かから感謝され、 「あなたがいてくれてよかった」 と言われれば、 それだけで かなり強く 生きていけるものなのだ…と。 今、それを確信しています。 おおげさに聞こえるかも知れませんが、 人は、自分の存在に誇りを持てると、 それが存在理由や存在意義にも なりうると思うから。 「じゃあ、そのためには、どうすれば…?」 (ハッ!!こんな事を、 気がつけば20年間も 考え続けてしまった…!) 考え続けた末の、私の結論。 『癒す側(のみ)の人』をなくせばいい。 『癒される側(のみ)の人』をなくせばいい。 (助けるばっかりで「我慢してばっかり」の人も、 助けられるばっかりで「自分は役立たずだ…」と 落ち込んだり恐縮する人も、なくなればいい。) …出来る限り、 受け取って、送って、また受け取って、送って。 (もちろん、時には『恩返し』もして(笑)。) せっかくならば、恩返しだけじゃなく、 次の人に向けて、『バケツリレー』。 こうして、自分のところにも、 誰かの思いやりが届けば 私ならば嬉しくって 大感激しちゃうだろうし、 大感激したまま、次の人に、 自分なりの得意な形でまた送れば、 そんな自分に誇りを持てる。 そうなったらすごいなぁ~~! みんなが 『次のあなたのために…』と ペイフォワードする、思いやりの循環世界。 うわ~、 観てみたいなぁ~~~♪♪♪ 弥勒の世(3億年以上先?)には 実現してるかなぁ~♪ いや、そんな事ないないっ! 2016年、今すぐに実現可能…! ひとまずあなたの周囲の仲間達で ぐるっと円陣を組んで座り、 みんなが隣にいる人の肩をマッサージして あげたならば… すぐに実現しちゃいますっ!(^o^) (実は、私は 「ご縁あるかたと、それをやろう!」 と思いつき、 毎月第2・第4金曜日に 『大人の成長塾』や『大人の手当てカフェ』を やっているのでした。) 妄想的つぶやきを、 最後まで読んで下さり、有難う~~♪ 辻耀子(つじようこ)より ★写真は、今日の「ひとりごはん」。 昨日、テレビで「にんじんしりしり」という 食べ物を見かけ、「な、なんだこれっ! ヘンな名前~!食べてみたい!」 と思ってたんですよ。 で、今日、お店で日替わり定食を頼んだら…。 日替わり小鉢が!なんと! 「にんじんしりしり」だったのでした~~♪ (左上の小鉢ねっ。) やったぞ~~♪ 何だか嬉しい。(^o^)
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【命を繋ぐ。循環させる。】 辻耀子(つじようこ)ですっ。 「樹を切りすぎると、森林がはげてしまう。」 「稚魚を獲りすぎると、その種類が減っていってしまう。」 「野の花をみんなが摘むと、翌年、花が咲かない…。」 やがて生態系が崩れ、森羅万象、この地球上の 全てのもののバランスが崩れてしまう…。 こんな当たり前のこと、 「だから、バランスをとっていくべき」 という事を、 私たちはみんな、一人ひとり全員が知っている。 そして「ぜひ、そうするべきだ!」とも思っている。 なのに、いつの間にか 「ぜひ、そうするべきこと」を 『優先順位』の1位から下ろしてしまい、 代わりに 「生産性」や「シェア争いで勝つ事」が 『優先順位』の1位になっちゃった。 そして、それが『先進国の常識』や 『はたらきかたの常識』になっちゃった。 …なぜだろう? 「なぜ?」と、真剣に考えたことがあります。 20代、闘病中に。 そして、こんな結論にたどり着いた。 「ああ、そもそもは、大切な人を守るための“愛” から始まったんだな」って。 「家族が飢えて死ぬのはいやだ。 だから、たくさん獲らなければ。 たくさん植えて、たくさん収穫しなければ。 備蓄しなければ。」 次に、軍事力。 これについても、「そもそも論」を 考えてみた事がありました。 そして20代の頃、たどり着いた答え。 「…ああ、やはり、大切な人を守るための“愛” から始まったんだな」って。 一生懸命に食べ物を集めたり、 農耕して栽培したり、 動物を育ててミルクを取ったり…。 頑張った家族や集落や村は、 周囲の、貧しい人たちから 付けねらわれたはず。 そして時に、襲われた。 奪われた。 抵抗したり、農作物を守ろうとすると、殺された。 時に、家族も殺された。 その時、生き残った人は思ったはず。 「ああ…、せっかく、 大切な人が飢えないようにと 頑張ってきたのに、そのために豊かになったら、 今度はこんな皮肉なことが待ってるなんて…!」 嘆きながら、知恵を絞り、対策を講じたはず。 「周囲には敵がいる」 「だから、武器を持たなければヤバい」 「守るために、自衛するために、武装しなければ」 「塀を作ろう。柵で囲おう。」 キレイ事じゃなく、切実に、 そう思ったはず。 だって、さらにもっと殺されるのは あまりにも、つらすぎるから。 …こうして、私たちは『大切な人の安全』や 『大切な人の笑顔』のために、 コツコツと努力を続けてきた。 草原の草を刈り、道を作って、標識を立てた。 土道は埃が舞って、空気がよごれる。 ぜんそくになる人も出る。 だから、アスファルトで補強した。 木造の家は、台風のたびに傾く。 時に強風に押しつぶされて、 大切な人が下敷きになる。 だからコンクリートで補強した。 こうして、便利なものが増えていった。 国を強くしようとやっきになった。 どんどん暮らしやすくなった。 …けれども気がつけば、エスカレートしすぎていた。 そして、今のこの世界があります。 そもそも最初は、 「樹を切りすぎると、森林がはげてしまう。」 「稚魚を獲りすぎると、その種類が減っていってしまう。」 「野の花をみんなが摘むと、翌年、花が咲かない…。」 「だから、バランスをとっていくべき」 という事を、 私たちみんな、一人ひとり全員が知っていたのに。 なのに、 「生産性」や「シェア争いで勝つ事」が 『優先順位』の1位になっちゃった。 そして、それが『先進国の常識』や 『はたらきかたの常識』になっちゃった。 …さぁ、ここからどうしよう? だけど、このバランスは、 きっと戻していける。 そのために、最初に必要になるもの。 それを、私は考えました。 そして、今、それは 『共感』 だと思っています。 「なぜ、奪うのか」 「なぜ、奪われると困るのか」 「それをされると、どんな気持ちになるのか?」 「何が次に待ち受けているのか?」 相手の立場に立って「気持ち」を 思いやること。 (それが、共感。) 「自分が同じ目にあったら、キツいよなぁ」 …ここをイメージ出来る人が増えたなら、 きっと、自己中心的な振る舞いをする人は減る。 それを、双方がやりあえたなら、 おそらく、問答無用に奪ったり、 抵抗されたら殺したり、する必要がなくなる。 でも…。 じゃあ、そのためには、私は何をすればいいんだろう? 私は考えた。 20代の頃、考えた。 そして、心理学を学ぼうと思った。 人の気持ちが、分かりたかったから。 人の気持ちが、分からなかったから。 で。 学びまがら、 怒りや憎しみの根本を辿っていきました。 そしたらね、 悲しいぐらい『愛』にいきつくんですよね…。 「大切にしてるものを(人を、何かを) 踏みにじられた!」 「だから攻撃してやる!」 「だから、よりよくしよう!」 こうして、あっちを直し、新しいルールを作り… 今の地球になったのね…。 それが、今の地球なんだね…。 ううう~~、切ないな…。 なんだか切ない。 愛するものを守りすぎたね…。 塀で囲いすぎたね…。 武器、作りすぎたね…。 「これがあると便利!」って事を 優先させすぎちゃったね…。 (※もちろん、私は 「世の中の人は全員、善人なのだ」と思ってませんっ。 人を傷つけても、ケロリとして反省しない人も 間違いなく存在しますもんねっ。 たしかに、多くの赤ちゃんは、生まれたときから 「誰かを踏みにじればいいじゃん~♪」 とは思っていない。 とは言え、人を傷つけても平気な人の数も 「ゼロ」にはならない。 これも現実。両方、現実。) (それから、 「ある日突然、すべての事が魔法のごとく解決!」 というマジックも、残念ながら起こらない。 多くの人が、それぞれの立場の利権を主張しあい、 主張はぶつかり合い、綱引きの決着は なかなかつかない…。 一人の絶対的カリスマが登場し、世界が一気に よくなる事も起こらないでしょう…。) でも、それでも。 ジワジワ、ジワジワと、 このバランスを戻していけたらいいなあ~♪ そのためのキーワードは、『共感』しあう事。 「他人ごと」じゃなく、「自分ごと」として 人の気持ちを思いやる人が増えたらいいなぁ。 人のつらさや頑張りに着眼する人が 増えたらいいなぁ。 …やがてその先に待つのは、 「自分が踏ん張って、このいのちを支えているのではない」 「多くのいのちを頂き、このいのちが続いているんだ!」 という実感。 そしてその「自分のいのち」は… 「自分の身体」は… 世界中の、まだ出会った事もない人が、 今日も育て、収穫し、獲りに行ってくれたもの達の いのちで出来ているんだよなぁ。 あなたの命、あなたの人生 made by 他のいのち。 あなたの大切な人の命、その人の人生 made by 他のいのち。 …そのあなたの人生の背後にいる、 何千、何万、何百万の、何千万のひとたち。 農家、酪農家、猟師、市場の人、パン屋さん、 料理屋さん、スーパーで働く人たち、 コンビニで働く人たち、運送業のひとたち。 この、『世界のどこかで今、生きている人たち』 の働きによって、届けられたいのち。 この実感。 この共感。 森羅万象すべての存在が、 この『自分』を作ってくれているんだなぁ…。 『だから命を繋ごう。循環させよう。』 仲良しの 横田 典和くんが、 こんな事、伝えてくれたんですよ。 「しっかりと、周りで支えてくれている命を見ることが出来て、 命を繋げる事に一番の価値を置く社会になったら良いな~」 ↑ うんうんうん!!! これこれ! 本当に…!!! これは、私にとってもここ数年の 「命がけでやりたい事」であり、 『アルアルモードカフェ』で伝え続けてきた事であり、 もしも世界人口のうちの3分の1が ここに価値を置くようになったなら、 その頃にはきっと、 地球の常識もルールも何もかも、 きっとずいぶんと変わっていると思うんですよっ。 考えただけでゾクゾクワクワク…!!! 私は、よく食べ物食べながら、 「どこの、なんていう名前の人が これを栽培したんかな~♪」 なんて考えておるのです(笑)。 想像を膨らますのが楽しくて…。 食べた味から、まだ見ぬその人の 人柄を想像したり…(笑)。 そんなわけで… 今、私に出来る事はまず、これかなぁ。 愛しさを持って、ご縁ある人の 色んな「いいぶん」や「主張」や 「やりきれなかった、つらい想い」 を包み込み、『共感』したいなぁ。 一緒になって泣いたり怒ったりしながら、 お話を聞きたいなぁ。 その上で、必要なかたに、 「あなたの命も大切だ、他の命も大切だ」 「森羅万象、すべてはつながり、支えあっている」 と伝える事が出来たら、最高だなぁ。 そんなのって甘っちょろいかな? どうでしょか。 …長文、読んでくれて有難うございました。 つじようこ ★写真は、自分で描きましたっ。 曼荼羅アート。