心軽やかに生きよう!不安や我慢、イライラから脱出しよう。その極意教えます!

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【スーパードクターなど、ヒーローが抱えるジレンマ。 TVには出てこない苦悩について考える。】

TVで時折、スーパー外科医のドキュメンタリー番組、
やってますよね。
 
他にもレスキューとか、
人を助ける仕事の人の特集番組。
 
あれを観るたび、
「格好いいなぁ…!」と、惚れ惚れします~!
 
そして、私だけではなく多くの方が
惚れ惚れしながら憧れの目で、
TV番組を観ているのだと思います。
 
でも。いつも私は気になって仕方がないのです。
 
“あの特番には、抜け落ちているものがある。”と。
 
 
『スーパードクターが、成功確率の低い
難易度の高い手術を担う。
 
そして、その先生が担えば、成功確率が上がる!』
 
そう、それは事実なんだけれども。
 
これは、「100%の人が 絶対に助かる」
という話ではない。
  
…つまり、スーパードクターの手にかかっても
助からない人は存在し、
 
難易度が高くなればなるほど、
「助かる人以上に、助からない人の確率は高い」
わけですよね…。
 
 
患者さんのご家族は、
「あの先生ならきっと…!」
という期待を胸に抱き、祈る想いで
手術の時を過ごし、
 
だからこそ、 
ダメだった時には、ひどく落胆する。
 
期待が大きかったぶんだけ、落胆も激しくなる。
 
 
私はいつも、 
TVでは決して取り上げない、
「ダメだったケース」を想像してしまう。
 
そして昔、私の友人が、こう言っていたのを
いつも思い出してしまう。
 
「(家族の)手術が失敗した時、
思いっきり 医師の先生を罵倒してやったわ!
 
『人殺し!』って
10回は言ってやった!
でも、まだ足りない!」 …って。
 
 
(この友人の気持ちも、分からなくはないんです。
叫びだしたいような、
やり場のない怒りを、悲しみを、
目の前の先生にぶつけずにいられなかった衝動を。
 
…「やったらあかんやろ」とは
思いましたけど、もちろん…。)
 
 
というわけで、ヒーローが抱えるジレンマ。
TVでは映さない苦悩。
 
「助けたい!」という気持ちと、
「自分には大した力がない…」
という無力感は、ワンセットなんだよなぁ…。
 
(つまり、「人助けをする仕事に就けば、
必ずセット商品のごとく、『無力感』が
ついてきてしまうという事。)
 
  
私は、いつもいつも、この
スーパードクターの 
『無力感』が気になってしまう。
 
他にも、震災のボランティアリーダーさんの
『無力感』も気になるし、
 
消防やレスキューの人たちの
『無力感』も気になる。
 
選挙で落選した、
誠実だけどダメだった立候補者の
『無力感』も気になる。
 
「いのちの電話」で自殺志願者の
電話相談をしているカウンセラーさんの
『無力感』も気になるのです。
 
 
もちろん、分かりやすい「人助け」の仕事に
ついていない人でも、
 
会社を良くしようとしたり、
お客さんや職場の人のために何とか…!
と踏ん張っては、
『無力感』に打ちひしがれている人がいる。
 
家族の介護をしている人もいる。
 
そういう人も、同じ『無力感』を抱えて
生きている人でしょう。
 
彼らの『無力感』も
気になってしかたがないです。
 
 
全知全能の神ではない、しかし
『人助け』をしたい人たち。
 
彼らはヒーロー。
 
そしてヒーローの華々しい活躍を
取り上げる番組ならば、みんな観たい。
 
けれども、彼らの失敗は決して見たくない。
失敗の存在を、信じたくない。
 
 
つまり、『生身の人間』である彼らの
抱える『無力感』は
誰も見たくない、気づきたくない…。
 
彼らには
(神のように)『カンペキ』でいて欲しい。
 
カンペキだと思い込みたい。
無敵だと…いつでも必ず強いと。
 
 
 
私は相談業をしているので、
時折、人助けの仕事をするかたの
相談を受ける事があります。
 
そんな時には、カウンセリングルームが、
『ヒーローが仮面を脱ぐ場所』
になるわけです。
 
『仮面の下の貌(かお)をさらけ出す場所』
になるんですよ…。
 
 
ヒーローは、自分の無力さをつぶやき、
うなだれます。
 
中には、泣き出す人もいます。
いや、泣き崩れる、という表現が正しいかも…。
  
後悔、悔しさ。
「自分はもっとうまくやれたんじゃないか」
という、自分に対する後悔や、 
運命のような、大きなものに対する怒りなど…。
 
 
私は、泣き崩れるそヒーローの
『無力感』を前にして、
打ちのめされそうになりながら、
 
同時に、
その『無力感』の裏側にある、
その人の純粋さ(崇高さ)に触れて、
 
感電したようになり、
心の中で、合掌してしまいます。
 
(うまく表現出来ないですが…。
それでも行動し、挑戦し続ける姿勢に、
合掌せずにいられないような
気持ちになるのです。)
 
 
けれども、厳しい現実が目の前にあります。
 
「助けたい!」という想いと、
助けられなかった時の無力感は、ワンセット。
 
ひとたび「人助け」の仕事を
選んだならば、『栄光』だけを
受け取る事は出来ない…。
 
なぜなら、ヒーローは神じゃないから。
100発100中の成功確率は狙えないから…。
 
切ないなぁ。
 
 
それでも、今日も
現場で活躍する人がいます。
 
その人は、時に、心の中で泣きながら、
(でも決して涙を見せずに)動いている…。
 
本当に、すごいと思う。
 
だから私は、彼らの後方支援がしたいです。
 
私には、最前線で動くヒーローの役は出来ない。
 
(そう、ビビッてしまってムリなのです。
そこまでの根性がないのです。
その事を、私は先日、重々に自覚したのです。)
 
 
ならば、私は後方支援がしたいなぁ。
 
私と同じような想いの人と集結して、
みんなで、ヒーローを後ろから支えたい。
  
  
みんながあと一歩ずつ互いを思いやれば、
世界は一瞬にして変わる。
(…はず!)
 
私は、それが見たくて仕方がないのです。
 
 
 
…実は私の中にもある、『無力感』。
 
その無力感をしっかりと噛み締めながら、
今日も自分の持ち場で、なすべき事を
なしていきたいと思います。
 
(来年になったら、
この『後方支援』を
キチンと形にしていくつもりです。)
 
つぶやきを読んで下さり、有難う…!
 
この後も、あなたにとって
おだやかな一日でありますように…。