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【大人になってから、気づきました(笑)。  この地上には、ドラえもんがいっぱいいる事。】  

辻耀子(つじようこ)です。(^o^)
今日は、懐かしくて、とても大切な思い出の話。(実話です。)
 
「お姉ちゃん、ちょっとちょっと!」と呼び止める声がした。
振り向けば、見知らぬ喫茶店。
見知らぬおばちゃん。
 
おばちゃんは言った。
「ちょっとおいで!中入り」
 
大阪のおばちゃんのパワーと迫力はすさまじく、
(ケンミンショー でご存知の通り…(笑)。)
 
大人しかった私はNOが言えず、
おどおどしながら喫茶店に入った。
 
そうしたらおばちゃん、私をカウンターに座らせて、
目の前にホットケーキを3枚も…。
ホイップクリームとさくらんぼもついていた。
 
おばちゃんは、不必要にでっかい声で、
まるでどなるように、早口でこう言った。
 
「おねえちゃん、山口百恵にそっくり!
おばちゃん、百恵ちゃんの大ファンやねん!
よ~来てくれたっ、食べていって!」
 
…私は正直、極度の緊張とおびえの中、
頭がまっ白になっていた。
 
でも、食べた。
食べなければヤバい。…そう感じたから。
 
 
大人になってから、時折、このエピソードを思い出す。
当時の私は、中学2年生でした。
 
(…ちなみに私は、山口百恵にまったく似ていません(笑)。
 
けれど当時は、よっぽど雰囲気が似ていたのか、
「百恵ちゃんに似てるわ~」とよく言われていた。
今の私と、雰囲気は別人ほど違うと思う。)
 
私は暗くて大人しい子で、
スラムと呼ばれる街の片隅で、
息を潜めて怯えながら生きてました。
 
友達がおらず居場所がなくて、
でも学校以上に家の中はきつくて、
独りで街をとぼとぼと徘徊していた。
 
おそらく、そんな私は喫茶店のおばちゃんの目に、
「ひもじくて、帰る場所のない、
ガリガリの不幸な子供」
に映ったのだろう。
 
だからおばちゃんは、私に『ごはん』を…
『栄養』をくれたのです。
 
 
「いや~ん、百恵ちゃんがうちのお店に来てくれた~、
今日は嬉しくて嬉しくて寝られへんわぁ~」
 
「いやっ!全部食べてくれたんや!
ジュースのおかわり、いる?」
 
おばちゃんの顔は、思い出せないです。
でも、声とセリフは覚えている。
体型は、ドラえもん体型でした。
 
そのお店のカウンターの風景も、
カウンターの端に置かれていた
ひまわりの造花のことも覚えています。
 
 
あの時のおばちゃん、今も喫茶店を
やってるんだろうか…。
 
今だったら、『こども食堂』をやりたい人かも知れない。
 
 
…昨日、立ち寄ったオシャレなカフェで、
思いがけずサプライズで頂いたケーキを食べながら、
久々にしみじみ、
このおばちゃんの事を思い出してました。
 
思えば、私の人生には何人も、こんな
『ドラえもん』みたいな大人が登場して、
私をピンチから救ってくれました。
 
ごくごく、さりげなく。
 
だから、右も左も分からないような子供が
起業しても、どうにかなったのです。
 
(…もちろん、逆の大人も多かったです。
私を騙し、利用し、脅し、搾取した大人たちも。
 
何しろ、ヤのつく人の街・大阪ですし、
犯罪率が全国No.1の地区に暮らしていたから…。)
 
 
そうそう。いきなり話は変わるんですけど、
脳科学によるとね、
人間って、いい思い出よりもつらかった事を、
脳みその『いつでも取り出しやすい位置』に
置いているんですって。
 
(なぜなら、自分の生命を危険から守るために、です。
 
だから危険な事、ネガティブな出来事は
しっかり覚えているし、
二度と同じ目に遭わないためにも、なかなか忘れない。)
 
けれども、よかった事やスムーズにいった事は
すぐに忘れていく…。
 
たとえば、一週間前の朝、何を食べたのかは
なかなか思い出せない。
なぜなら、「当たり前に、スムーズに行った
平凡な日常の出来事」だから…。
 
(ごはんを食べられるのが「当たり前」になってる
日本に暮らしているから…。)
 
でも、嫌な事、ムカついた事、悔しかった事、
傷つけられた事は、いつだって
脳の『取り出しやすい位置』に置いてある。
 
(これは性格の問題ではなく、本能のしくみ。)
 
私だってそうです。
理不尽な目に遭った。…その悔しさをバネにして、
踏ん張って生きてきたつもり。
 
…そして…。今振り返ってみれば、思うのです。
 
「ああ、ドラえもんみたいに、
手を差し伸べてくれた大人がいたなぁ…」
 
そっちのエピソードは、普段はあまり思い出さない。
 
(なぜなら、本能が、反応しないからです。
別に思い出さなくても、いのちを守る事に無関係だから。)
 
 
当時の、中学2年生だった私は、
ホットケーキの味を覚えていません。
 
感謝なんて、まったく感じられませんでした。
 
ただ、おばちゃんの大きな声が怖かった。
食べなければ、店から出してもらえないって
おびえて食べた。
 
そして、「助けてくれようとしたんだ」と
気づいたのは、20歳の後半。
 
…でも、それでもまだ、感謝なんてなかった。
 
なぜなら、まだ必死でもがきながら
人生を生きていたから。
 
生きる意味も分からず、しんどくて、
でもやるしかなくて、がむしゃらだったから。
 
 
…あれから30年ほど経ちました(笑)。
 
昨日は、人生で2度目の、
「ケーキをもらえた日」でした。
 
ちょうど終戦記念日。(これは単なる偶然だけど…。)
 
仕事帰りに立ち寄ったオシャレなケーキ屋さんで、
人見知りっぽい雰囲気の、
年季の入ったパティシエのおじさんが、
ケーキをプレゼントしてくれた。
 
「自分で言うのもなんやけど、
これ、朝一番からめっちゃ張り切って焼いてん。
 
おいしいと思うねん。
けっこう自分でも自信作やで。
…食べてみーへん?」
 
…ビックリするほどおいしかった…!!!
 
昨日の『ドラえもん』おじさんは、
「かわいそうな私」にケーキを恵んでくれたのじゃなく、
 
頑張ってきた私に向けて、
同じく頑張ってきたおじさんが
 
「お互い、今日もお疲れさま♪」
という意味で、粋なプレゼントをしてくれたのだと思う。
 
おじさん、わざわざ、
私が全部食べたかどうか、そーっと
カフェスペースまで確認しに来ていました(笑)。
 
バレないように、そーっと。
 
 
私は今、毎日、洪水のように、
人の、粋なはからいや思いやり、
ちょっとした心配りに気づけている。
 
「ありがたいなぁ…」
そんなつぶやきが、わりとしょっちゅう漏れる。
 
何気ない日常の中で、感謝が出来ている。
 
…こんな人生、けっこういいなぁ♪
 
あのつらかった頃、死なずに踏ん張ってよかった。
あのつらかった頃も、私は守られていたのです。
 
 
 
ところで…。
今だからこそ、考えるのです。
 
人生って、幸せって、何だろね?
 
 
 
あなたの人生にも、きっと
『さりげないドラえもん』は登場していた。
 
通学路で
「あの子、今日もちゃんと学校に来たなぁ」
って見守ってくれていた人とか…。
 
(当時の私は、話しかけられると
怖くてウザくて、
心の中で「放っておいて!」って思ってたけど、
あの人たちも『ドラえもん』だった。
 
きっと、私が往来でピンチに遭ったら、
助けてくれただろう。)
 
 
でも当時の、子供だった私は、
人生を丸ごと救い上げてくれる人を
求めてたんです。
 
このつらい日々から脱出させてくれる、
魔法使いのような大人を。
 
…だから、まるで、捨て犬を見つけて、
通りがかりにミルクをやって去っていく人
みたいな、そんな親切には、
全く感謝できなかった。
 
「そんな事じゃ、このつらい毎日、
どうにもならないよ」
と思ってた。
 
 
だから、自力でそこから脱出した。
…そして私は、脱出に成功した。
 
それは、自分の力だと信じて疑わなかった。
 
世間に対して、みんなに対して怒ってたから
「誰の助けも要らない!
期待なんかしない!」
って心の中で怒鳴ってた。
  
 
…今は、「やっぱ違ったな」と思えてる。
 
私は、生かされたので生きてこられたのだなぁ、と。
 
ドラえもんは世間に何人もいて、
まるでバケツリレーのように、
「いよいよピンチ!」という時、
私の目の前に登場した。
 
そして、「ほんのちょこっとだけ」助けてくれて
また去っていく…。
 
けれども、その連続のバケツリレーによって、
私は救われてきたのです。
 
今なら、そう思う。そう思える。
 
 
いつの間にか、「自分って超~幸運だ!」
としか思えなくなってます。
 
幸せって、「粋でさりげない心遣い」を
ちゃんと見つけられるようになるかどうか?
 
やっぱ、そこなのだと思う。
 
…そして、『感謝力』は磨ける。
深めることが出来る。間違いなく。
 
そこも、救いだと思う。