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【命を繋ぐ。循環させる。】 辻耀子(つじようこ)ですっ。 「樹を切りすぎると、森林がはげてしまう。」 「稚魚を獲りすぎると、その種類が減っていってしまう。」 「野の花をみんなが摘むと、翌年、花が咲かない…。」 やがて生態系が崩れ、森羅万象、この地球上の 全てのもののバランスが崩れてしまう…。 こんな当たり前のこと、 「だから、バランスをとっていくべき」 という事を、 私たちはみんな、一人ひとり全員が知っている。 そして「ぜひ、そうするべきだ!」とも思っている。 なのに、いつの間にか 「ぜひ、そうするべきこと」を 『優先順位』の1位から下ろしてしまい、 代わりに 「生産性」や「シェア争いで勝つ事」が 『優先順位』の1位になっちゃった。 そして、それが『先進国の常識』や 『はたらきかたの常識』になっちゃった。 …なぜだろう? 「なぜ?」と、真剣に考えたことがあります。 20代、闘病中に。 そして、こんな結論にたどり着いた。 「ああ、そもそもは、大切な人を守るための“愛” から始まったんだな」って。 「家族が飢えて死ぬのはいやだ。 だから、たくさん獲らなければ。 たくさん植えて、たくさん収穫しなければ。 備蓄しなければ。」 次に、軍事力。 これについても、「そもそも論」を 考えてみた事がありました。 そして20代の頃、たどり着いた答え。 「…ああ、やはり、大切な人を守るための“愛” から始まったんだな」って。 一生懸命に食べ物を集めたり、 農耕して栽培したり、 動物を育ててミルクを取ったり…。 頑張った家族や集落や村は、 周囲の、貧しい人たちから 付けねらわれたはず。 そして時に、襲われた。 奪われた。 抵抗したり、農作物を守ろうとすると、殺された。 時に、家族も殺された。 その時、生き残った人は思ったはず。 「ああ…、せっかく、 大切な人が飢えないようにと 頑張ってきたのに、そのために豊かになったら、 今度はこんな皮肉なことが待ってるなんて…!」 嘆きながら、知恵を絞り、対策を講じたはず。 「周囲には敵がいる」 「だから、武器を持たなければヤバい」 「守るために、自衛するために、武装しなければ」 「塀を作ろう。柵で囲おう。」 キレイ事じゃなく、切実に、 そう思ったはず。 だって、さらにもっと殺されるのは あまりにも、つらすぎるから。 …こうして、私たちは『大切な人の安全』や 『大切な人の笑顔』のために、 コツコツと努力を続けてきた。 草原の草を刈り、道を作って、標識を立てた。 土道は埃が舞って、空気がよごれる。 ぜんそくになる人も出る。 だから、アスファルトで補強した。 木造の家は、台風のたびに傾く。 時に強風に押しつぶされて、 大切な人が下敷きになる。 だからコンクリートで補強した。 こうして、便利なものが増えていった。 国を強くしようとやっきになった。 どんどん暮らしやすくなった。 …けれども気がつけば、エスカレートしすぎていた。 そして、今のこの世界があります。 そもそも最初は、 「樹を切りすぎると、森林がはげてしまう。」 「稚魚を獲りすぎると、その種類が減っていってしまう。」 「野の花をみんなが摘むと、翌年、花が咲かない…。」 「だから、バランスをとっていくべき」 という事を、 私たちみんな、一人ひとり全員が知っていたのに。 なのに、 「生産性」や「シェア争いで勝つ事」が 『優先順位』の1位になっちゃった。 そして、それが『先進国の常識』や 『はたらきかたの常識』になっちゃった。 …さぁ、ここからどうしよう? だけど、このバランスは、 きっと戻していける。 そのために、最初に必要になるもの。 それを、私は考えました。 そして、今、それは 『共感』 だと思っています。 「なぜ、奪うのか」 「なぜ、奪われると困るのか」 「それをされると、どんな気持ちになるのか?」 「何が次に待ち受けているのか?」 相手の立場に立って「気持ち」を 思いやること。 (それが、共感。) 「自分が同じ目にあったら、キツいよなぁ」 …ここをイメージ出来る人が増えたなら、 きっと、自己中心的な振る舞いをする人は減る。 それを、双方がやりあえたなら、 おそらく、問答無用に奪ったり、 抵抗されたら殺したり、する必要がなくなる。 でも…。 じゃあ、そのためには、私は何をすればいいんだろう? 私は考えた。 20代の頃、考えた。 そして、心理学を学ぼうと思った。 人の気持ちが、分かりたかったから。 人の気持ちが、分からなかったから。 で。 学びまがら、 怒りや憎しみの根本を辿っていきました。 そしたらね、 悲しいぐらい『愛』にいきつくんですよね…。 「大切にしてるものを(人を、何かを) 踏みにじられた!」 「だから攻撃してやる!」 「だから、よりよくしよう!」 こうして、あっちを直し、新しいルールを作り… 今の地球になったのね…。 それが、今の地球なんだね…。 ううう~~、切ないな…。 なんだか切ない。 愛するものを守りすぎたね…。 塀で囲いすぎたね…。 武器、作りすぎたね…。 「これがあると便利!」って事を 優先させすぎちゃったね…。 (※もちろん、私は 「世の中の人は全員、善人なのだ」と思ってませんっ。 人を傷つけても、ケロリとして反省しない人も 間違いなく存在しますもんねっ。 たしかに、多くの赤ちゃんは、生まれたときから 「誰かを踏みにじればいいじゃん~♪」 とは思っていない。 とは言え、人を傷つけても平気な人の数も 「ゼロ」にはならない。 これも現実。両方、現実。) (それから、 「ある日突然、すべての事が魔法のごとく解決!」 というマジックも、残念ながら起こらない。 多くの人が、それぞれの立場の利権を主張しあい、 主張はぶつかり合い、綱引きの決着は なかなかつかない…。 一人の絶対的カリスマが登場し、世界が一気に よくなる事も起こらないでしょう…。) でも、それでも。 ジワジワ、ジワジワと、 このバランスを戻していけたらいいなあ~♪ そのためのキーワードは、『共感』しあう事。 「他人ごと」じゃなく、「自分ごと」として 人の気持ちを思いやる人が増えたらいいなぁ。 人のつらさや頑張りに着眼する人が 増えたらいいなぁ。 …やがてその先に待つのは、 「自分が踏ん張って、このいのちを支えているのではない」 「多くのいのちを頂き、このいのちが続いているんだ!」 という実感。 そしてその「自分のいのち」は… 「自分の身体」は… 世界中の、まだ出会った事もない人が、 今日も育て、収穫し、獲りに行ってくれたもの達の いのちで出来ているんだよなぁ。 あなたの命、あなたの人生 made by 他のいのち。 あなたの大切な人の命、その人の人生 made by 他のいのち。 …そのあなたの人生の背後にいる、 何千、何万、何百万の、何千万のひとたち。 農家、酪農家、猟師、市場の人、パン屋さん、 料理屋さん、スーパーで働く人たち、 コンビニで働く人たち、運送業のひとたち。 この、『世界のどこかで今、生きている人たち』 の働きによって、届けられたいのち。 この実感。 この共感。 森羅万象すべての存在が、 この『自分』を作ってくれているんだなぁ…。 『だから命を繋ごう。循環させよう。』 仲良しの 横田 典和くんが、 こんな事、伝えてくれたんですよ。 「しっかりと、周りで支えてくれている命を見ることが出来て、 命を繋げる事に一番の価値を置く社会になったら良いな~」 ↑ うんうんうん!!! これこれ! 本当に…!!! これは、私にとってもここ数年の 「命がけでやりたい事」であり、 『アルアルモードカフェ』で伝え続けてきた事であり、 もしも世界人口のうちの3分の1が ここに価値を置くようになったなら、 その頃にはきっと、 地球の常識もルールも何もかも、 きっとずいぶんと変わっていると思うんですよっ。 考えただけでゾクゾクワクワク…!!! 私は、よく食べ物食べながら、 「どこの、なんていう名前の人が これを栽培したんかな~♪」 なんて考えておるのです(笑)。 想像を膨らますのが楽しくて…。 食べた味から、まだ見ぬその人の 人柄を想像したり…(笑)。 そんなわけで… 今、私に出来る事はまず、これかなぁ。 愛しさを持って、ご縁ある人の 色んな「いいぶん」や「主張」や 「やりきれなかった、つらい想い」 を包み込み、『共感』したいなぁ。 一緒になって泣いたり怒ったりしながら、 お話を聞きたいなぁ。 その上で、必要なかたに、 「あなたの命も大切だ、他の命も大切だ」 「森羅万象、すべてはつながり、支えあっている」 と伝える事が出来たら、最高だなぁ。 そんなのって甘っちょろいかな? どうでしょか。 …長文、読んでくれて有難うございました。 つじようこ ★写真は、自分で描きましたっ。 曼荼羅アート。