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【One For All,All For One.】 辻耀子(つじようこ)です。 “一人のかたに向けて差し出すものは、世界全体へ届く。 私が行なっている事は、実はけっこう偉大だ。” 昔の私は、お一人お一人の相談者さんのお話を伺いながら、 (つまり、心の傷つきの解消や、 お身体の不調のケアをさせて頂きながら、) ふと、こんな、ネガティブな事を思っていたものでした。 「砂浜で砂をひとつぶ、ひとつぶ磨いているようなもんだなぁ…、24時間じゃきりがない、 数が足りない、人手が足りない…追いつかない…。 しかも、目の前のかたの、今の問題が片付いても、 また次の新しい問題がその人に降りかかるかも知れない。 きりがない… 世界中を見回すと、ほぼ、何も変わっていない。」 世界が、徐々によくなっている確証がないこと。 この考えは、私を焦らせたり、 時に疲れ果てさせたりしていました。 自分がちっぽけなアリのように思え、 心の内にはジレンマがありました。 『この世界の苦しみを軽くする一助をにないたい。』 『けれど、私一人ごときに、何が出来る?』 努力もしたし、この20年、 実力もそれなりについたと思うんです。 けれども世界を見回せば、 新たな苦しみがどんどん生み出されていて、キリがない。 …しかし、その後、考えが大きく変わりました。 目の前のかたお一人に、全身全霊を尽くす。 そのお一人は、砂浜の『たったひとつの砂つぶ』でありながら、 『時間(縦軸)と空間(横軸)の交わったポイント』に顕在しておられる、言わば“象徴”なのだ。 そのかたがご先祖から連綿と受け継ぎ、バトンリレーしてこられた、その総てのものが、縦と横に果てしなく拡がっている…! 私はその総てに対し、向かわせて頂いているのだな…。 この気づきに至れたのは、本当に幸運だったと思います。 しかし、直感的に訪れたこの気づきを、私の脳みそはすぐには受け容れず、納得できず、また疑いの雨雲が心を覆いだしたものでした。 私は元々、理屈屋さんなので、 心理学以外に、量子物理学の本を読み、医学書を読みふけりました。 こうして、ますますこちらの考えに確信を持てるようになりました。 私達は、ひとつの砂粒のように見えて、ひとつぶではない。 あなたや私は、粒(いち固体)ではなく、 波であり、海であり、 どこまでも…どこまでも連なって、つながって、美しいタペストリーのごとく、ゆるやかに流れている存在なのです。 だからあなたが今日、笑顔で過ごすことは、タペストリー全体に影響を与えている。 実はとてつもなく偉大な事なのだなぁ。 今の私は、相談者さんに心の中でこう伝えています。 “あなたの心の内面の平和が、 1,000年後の地球全体の平和を間違いないものにするのだ。” 今の私は、こう思えています。 “One For All,All For One. 一人のかたの心や身体に向かわせて頂く事は、とても尊い。” 今日も、ていねいに…ていねいに、 ご縁ある、美しいすな粒のドロを取ります。 「ほら、こんなに透明できれいだよ!」 って見せてあげたいんです。 これを考えただけで、ワクワクが止まらないんです。 …つぶやきを読んで下さり、有難う。 この気持ちを、あなたと分かち合いたくて。 今日もいい一日になりますように…♪ (PS 必要ならば、どうぞシェアを。 それはとっても嬉しい事で、私のよろこびです。 シェアへの事前承諾を打診して下さるかた、有難う。 そういう丁寧さ、私は大好きです! が、お返事が遅れがちになるため、どうぞお気軽に…♪)
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こんにちは、 辻耀子(つじようこ)です。(^o^) いかがお過ごしですか? 今日は、自分の事がイマイチ 好きになれないかたへ向けて、 私の体験談を交え、全霊を込めて書きますね。 【ありのままの自分、の本当の意味を知って欲しい。】 私ね、1999年、いきなり 『見えないはずのもの』が 見えるようになったんです。 (大阪のビジネスホテルで、 カレーを食べていた時に そうなったので、私の歴史上では 『江坂カレー事件』と名づけています。) これを言うと、 「うわ~うらやましい!」 と言われる事がありますが… 私の場合は、逆でした。 それまで「見えないものは信じない」 というスタンスで生きていたので、 ひどいショックがあり、受け入れがたかったのです。 毎晩、「明日、起きたら 元に戻っていますように…」 と念じながら眠り、 翌朝起きて「まだか…」と落ち込み、 大病院で脳波の検査をうけたり、 「カウンセラーなのに精神病になった?」 と悩んだり、1ヶ月ほど 一人で深刻に怖がっていました。 …結局、元には戻らず、今日まで生きています。 しかし、そのおかげで私は、 『人間の本質』に気づく事が出来ました。 “ありのままの自分”。 お一人、お一人の 『たましいの輝き』としか いいようのない、美しい光が、 見えるようになったのです。 それはもう、見事で…見事で、 あまりに美しくて、いつまでも見とれるほどの光です。 それぞれに個性があり、 しかし同時に優劣はなく、 全ては別々であり、同時にひとつのものです。 (ここのニュアンスは、 言葉では表現できないです。 矛盾がでます。) それは、ただひたすら透明感があり、 純粋で、クリアで、曇りがなく、 汚れていない。 涙がこぼれそうになるほど、見事な光です。 この『たましいの輝き』や、 もうひとつ、その人を守る存在の輝きなどを 見つけてからの私は、 今度は逆に「うっひゃああああ…!」と 驚き、感激し、エキサイトし、 「ああ、言いたい、伝えたい!」 「私には見える!あなたの輝きが見える!」 という具合に、 言いたくて、言いたくて、言いたくて… 仕方がなくなって、 その衝動を抑えるのが大変で、 困ったものでした。 (それまで、『見える』という人の事を 心の中で「ありえないから~」と 思って、斜めにみて生きてきたぶんだけ、 それが自分に跳ね返り、怖くなるわけです。 このジレンマは大きかったです。 いつも、2つの気持ちが揺れ動いていました。 「見えるよ!あなたの光が見えるよ!すごいよ!」 と、ちっちゃい子供のように 自慢げに伝えたい自分と、 「ヘンな人と思われたら、嫌われたり 仕事や生活に支障がでるかもしれない…」 という恐れのはざまで、 かなり長いこと、『見える』事を黙っていました。) 当時から私は心理カウンセラーをしていました。 当時は新米で、へたくそで、 相談者さんがほぼいなかったものの、 ここ15年ほどは、 少なくない人数の方が連絡してこられます。 そして私は毎日、早朝から深夜まで、 要望がある限り心理相談に応じているのですが、 落ち込み、悩み、苦しみ、そのさなかにいるかたが、 「悔しいんです、つらいんです、復讐したいんです」 と訴えるのを聴かせていただきながら、 その最中にも、そのかたの 内側に間違いなくある それは見事な… クリアで純粋な… とんでもなく透明な、 『ありのままの存在』を 見つけています。 そして時に、歯がゆくなっています。 「ああ、この光を今すぐ 目の前に取り出して、 はい、これを観て、これがあなただよ、 って伝えられればいいのになぁ」と。 「こんな自分はダメです」 「こんな自分だから、うまくいかないんです」 「ああ、何で私はこんな人間なのだろう」 「私は汚い人間です」 「私は被害者です、相手が不幸になるまで 私の幸せなどありえません」 「あの人が不幸になってくれれば 私は正直、すごく嬉しい。 …私の本性、結局これなんですよね、辻さん。」 いや、違う。 …確かに私も、昔は、 『江坂カレー事件』の起こる前までは、 同じように思っていました。 自己嫌悪の固まりで、こんな自分が嫌いで。 「みんな、本当の自分を知ったら、 離れていくに決まっている」 と心の底から信じていたんです。 「みんなうまくいくといいね」と言いながら、 実際には、 誰か、知人ががうまくいかなかったりすると、 それを見ながら心の中で 「ホッ」と安心する自分がいたり、 怒りや悔しさ、 「今に見てろ」という、やり返したい気持ち…。 「自分だけがトクしたい気持ち」。 そんなものを心に隠し持っていました。 そして、 自分の心の中にある怒りや、黒いもの。 『それこそが、自分の本性』と信じていました。 だからね、 相談者さんの気持ち、 自己嫌悪、自己否定感… 痛いほどわかります。 昔の自分と同じだから…。 でも、今の私は、こう伝えたいのです、 “ありのままの自分” とは、 あなたの肉体に付随する『エゴ』の事ではないよ。 それは、あなたの『本質』ではない。 たとえば、 「本当は、今の会社が嫌でたまらないんです。 でもこれが正直な気持ちです、 これがありのままの自分なんです」 とか、 「でこもぼこもあるけれど、 これが自分なのだからしかたがない、 これがありのままの自分なのだから」 とか、 「他の人より優れていたい、お金も欲しい、 ぜいたくしたい、もっと言えば、 仕事になど行きたくない。 でもそれがありのままの本心です」 とか、 そんな風に、『ありのままの自分』という 言葉を使う人がいるけれど、 これらすべて、 “ありのままのあなた”ではない。 これらは、単なる『エゴ』です。 肉体に付随する、 『生存本能』からくる 感情的な(脳科学的な)反応にすぎない。 本当の、 “ありのままのあなた” は、 あなたがまだ見つけていない、本当のあなただ。 一人ひとり、見事な輝きを放っています。 そしてあなたは、あなた独自の光を持っている。 他の誰でもない、見事な光を。 (しかし同時に、何者でもない光を。 超我の領域の光を。) もしもあなたが、自分の中にある “ありのまま” の純粋な光を 信じられないならば、 その原因は、 心の傷(トラウマ)、 我慢が多い人生だったり、 エゴが強すぎて捉われていたり、 固定観念 強い思い込み 周囲の(ネガティブな)環境 あなたを支配し、コントロールしようとする存在 これらにあります。 これらから、あなたは身を守るため 『心のよろい』や『心の壁』を作ったのですが、 しかし今度は皮肉なことに、 それがあなたの心眼をふさいだため、 あなたには見えないのです。本当のあなたが。 つまり、あなた自身の心(エゴ)が、 あなたの本質を、 “ありのままの自分”を、見誤らせているのです。 (※ただし、『エゴ』は 肉体を守るために必要な 生存本能から来る感情であり、 いのちを永らえるために必要なので、 生きている限り、消えてなくなる日は来ません。) あなたが『エゴ』を受け入れ、 そっと横に置いたとき。 あなたは本当のあなたを見つける事になります。 「あれ…、自分にもこんな部分があったのか…!」 純粋な、クリアな、穢れのない、 まっすぐな、 それはそれは見事なひかりです。 『ありのままの自分』。 何者からも、 自分を守ろうとする必要のない、 決して消えない、 永遠の光が、 あなたの本質です。 以上、読んでくれてありがとう。 (それにしても、 こういう事を書くの、 勇気が要るものですね…! 反応が怖いです。 今日はすんごい勇気を振り絞り、 伝えたくて書きました。) では、この後もいい一日になりますように…♪(^o^)
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【あなたの人生が、窮屈で味気なくて 無難だけどパッとしない理由と、その対処法。】
タイトルが気になったかたのみ、読んで下さいナ。 辻耀子(つじようこ)です。 めいっぱいの応援と励ましを込めて、 あなたの落とし穴の話、書きますっ。 さて。 「何かが出来る素晴らしい△△さん」 「お母さんの△△さん」 「奥さんの△△さん」 「稼げてる△△さん」 「スタイルがいい△△さん」 「優秀な△△さん」 …あなたは、こう賞賛されて、 「わ~い♪」と無邪気に嬉しくなる人? それとも、お世辞のように感じたり、 あんまりピンと来ない人? 私達は、自分を好きじゃない時に、 ここを賞賛されても、 よろこびが湧き上がる感覚は おそらく ないと思うんです。 どちらかと言うと、 「よかった、ちゃんとしてみられてる」 「大丈夫だ」 という、ホッとした安心感が手に入るのみです。 (「セーフ!」っていう感覚のほうが近いかも。) そうではなく、 病気の自分でも、 落ち込んでいる時の自分でも、 ちゃんと出来ていない自分でも 情けない自分でも 失敗しちゃった自分でも 格好悪い自分でも 『状況、状態、スキル等』に関係なく、 「自分は自分だから愛されているんだ」 という確信。 (確信ですよ、確信!!!) これが、欲しいと思いません? この安心感。 これぞ、『あなたの幸せ』という 一本の木の『根っこ』に当たる、 とても大切な要素なのだなぁ、と思いません? もしも今、ここまでの内容を読んで 心がザワめくなら、このまま読み進めてみてくださいナ。 私は、ご縁があって 今繋がっているあなたに向けて、 めいっぱいの応援を込めて伝えたい。 ここから抜け出す方法を。 …今すぐにあなたはやる事は、たったひとつ。 『自分の価値を認める』 『自分を愛する』 ことですよ。 …な~んてねっ、そこじゃないよ! 全然違うよ!!! そこじゃない~~! (そんな、ありがちな心理カウンセラー みたいな助言は、私はしませんっ(笑)。) 『自分を愛する』とか『認める』なんて、 どれだけ本を読んでも出来ないでしょう? 難しいし、意味不明でしょう? ならばね、その前にやる事があるよ。 『あなたの最も身近にいる人の価値を、 ちゃんと、目ん玉ひんむいて、 心の目で、 たましいの目で、観る』 ここですっ。 あなたが今すぐにやるのはこれですっ。 ここにトライしてみようよ。 なぜなら、あなたはきっと、 知らず知らずのうちに、 身近な人の事を 「~~が出来るから」 「~~がうまいから」 「稼いでくれてるから」 「元気で健康だから」 「手がかからないから」 このような部分にばかり着眼して、観ている。 そして、相手の価値を 『状況、状態、スキル等』で測っている。 それは、相手の価値を 『利用できる有効な機能(能力)』 で測っている、ということだ。 「が~ん、ショック…」 「今日の辻さん、超キビシイ…」 (すみませぬ。 今日は急いで書いてるので、文が荒いのです(笑)。) いえいえ、あなたがそうしてしまうのには、 れっきとした理由があるんです。 あなたは 教育や社会で植えつけられた価値観で 人を見てきた、という事です。 そのクセがつきすぎている。 だからあなたが悪いんじゃない、 落ち込む必要もないんです。 ただ、ここにも気づいておいて下さい。 あなたは子供の頃から、 家庭や学校や社会で、 『元気でいう事を聞き、優秀ならば 存在する価値がある』 (褒められ、微笑んでもらえる) 逆に、 『ポンコツで、ぐずで、 秀でたものがなければ存在価値がない』 (ほうっておかれ、無視される) 「そういうものの見方をずっとされてきた」 「そういうものの見方しかされてこなかった」 だから、優秀になろうとした。 ちゃんとした子であろうとした。 迷惑をかけず、人の役に立つ人間でいなければ、と努力してきた。 そして、あなたもいつの間にか、 「そういうものの見方をする人になった」 「そして、気づかないままずっとしてきた」 「だから、クセになっている」 ただそれだけのことです。 (そして…周囲を見回してみてください。 あなただけじゃなく、どれだけ多くの人が この落とし穴にはまったまま 人生を生きていることか…。) でも、もしも今、自分の人生が 「褒められてもあんまり心が動かない」 「ワクワクウキウキしない」 「むしろ、これでいいのかな…って いつも自信が持てないまま暮らしてる」 という事であれば、 ここに原因があったという事には、 『今すぐに』 気づくほうがいいんです! (と、今日の私は強く言うっ!) …なぜなら、気づけない限り、 あなたの人生、けっこうしんどいからです。 しんどいというより、きゅうくつだからです。 心の自由が取り戻せないからです。 のびやかじゃないんです。 いつも 「よかった…セーフっ。(バレてない)」 とか、そんな感じ。 それでも、あなたが元気で優秀で有能で バリバリ働けている間はいいんですよ? でも ひとたび転んだら… スランプに陥ったなら、どうなる? 途端に「ど~~~~っ」と、 自信のなさが押し寄せて、 やりきれなくなるのです。 (これが、あなたが『自分を愛せない理由』だよ。 これが、あなたが 「自分は『自己肯定感が低い』んです…」 とつぶやく理由だよ。 だから、ここに気づかないまま 『自分を愛そう』と努力したって うまくいくわけがないっちゅう事です…!) というわけで…。 心からの応援を込めて… 必要な人に届け~~っ!